木田画伯 交流戦と言えば思い出すヤクルト時代の“痛恨の1球”

2016年06月23日 10:00

野球

木田画伯 交流戦と言えば思い出すヤクルト時代の“痛恨の1球”
セギノールに打たれた思い出を描いた木田画伯
 今季の交流戦も全日程が終了。日本ハムは10勝8敗で12球団中5位でした。木田優夫GM補佐(47)による今回の「木田画伯の球界絵日記」は、交流戦の思い出について。過去12年間でパ・リーグのチームが勝率1位に10度輝く中で、ヤクルト時代には優勝争いを経験しましたが、記憶によみがえるのは痛恨の1球――。あれがなければ、交流戦の歴史も変わっていたかもしれません。
 2005年に始まったプロ野球交流戦は毎年、パ・リーグが優勢で、優勝も2012年にジャイアンツが優勝するまでパ・リーグのチームが優勝していました。

 ただ、その前に優勝に近づいたセ・リーグのチームがありました。2006年のスワローズです。この年、スワローズは古田敦也兼任監督の1年目で青木宣親選手、リグス選手、岩村明憲選手、ラミレス選手らを中心に、下位打線にも宮本慎也選手が控える強力打線を組んでいて、投手陣もメジャーから石井一久投手と高津臣吾投手が復帰していました。

 交流戦に入り、チームは好調を維持し、マリーンズと優勝争いを演じていました。しかし、その夢を打ち砕いたのは北海道日本ハムファイターズでした。神宮での試合で終盤までスワローズがリードしていたのですが、セギノール選手が逆転ホームランを放ち、その敗戦から結果として優勝を逃してしまいました。

 そして、その逆転ホームランを打たれたのがこの年、スワローズに入団した僕でした。アウトコースにボールになるフォークボールを投げて勝負にいったのですが、セギノール選手が長い手を伸ばし、振り抜いた打球はバックスクリーンの左横に突き刺さりました。あのとき、スワローズが優勝していたらその後の交流戦も流れが変わっていたかもしれません。

 今、セギノール選手は引退し、シカゴ・カブスのスカウトをしていて今年も米アリゾナキャンプでも会いましたし、ちょこちょこ来日しているので日本の球場で会うことも多いです。お互い、顔を合わせると必ずこのホームランの話になります。それぐらい、僕にとってもスワローズにとっても痛い一発でしたし、彼にとっても思い出に残る一発だったようです。(日本ハムGM補佐)

おすすめテーマ

2016年06月23日のニュース

特集

野球のランキング

【楽天】オススメアイテム
`; idoc.open(); idoc.write(innerHTML); idoc.close(); });