木田画伯 よみがえる31年前の宮崎 8時半の男に感謝

2018年02月06日 08:46

野球

木田画伯 よみがえる31年前の宮崎 8時半の男に感謝
木田画伯 Photo By スポニチ
 日本ハム・木田優夫GM補佐(49)による今回の「木田画伯の球界絵日記」は「キャンプバージョン」です。31年前、巨人でのプロ1年目は2軍の宮崎キャンプでスタート。そこで当時2軍投手コーチの宮田征典氏(故人)から投手の基礎を叩き込まれました。沖縄・国頭での2軍キャンプを訪れて願うのは、あの日のようにコーチの厳しい指導で新人選手たちが育ってくれることです。
 今年も春季キャンプが始まりました。ファイターズの1軍は米国アリゾナ州スコッツデール、ダイヤモンドバックスのキャンプ地でスタートしてます。ただ、僕はそこには行かず、今年は沖縄県国頭村のファームのキャンプから参加しました。ファームは荒木新2軍監督となり、コーチ、スタッフも新加入の人が多いので、キャンプのスタートだけ見て、この後アリゾナで1軍に合流する予定です。

 思い返せば当然ですが、僕のプロ野球人生のスタートも2軍キャンプでした。ジャイアンツに入団した年、初めて宮崎キャンプに行きましたが、1軍はグアムキャンプに行っていて、宮崎は2軍だけでした。そこでプロ球界の右も左も分からない僕にいろいろ指導してくれたのが、ジャイアンツのV9初年度に20勝を挙げ「8時半の男」と呼ばれた宮田征典2軍コーチでした。

 群馬県の前橋高校出身の宮田さんは、実は僕の親父と1学年違いで、前橋工野球部で4番だった親父と何度も対戦した間柄です。ただ五十嵐家から婿養子で木田家に入って名字が変わっていたので、最初は分からなかったようですが、そのことを話してからはずっとかわいがってもらい、投手のイロハを教えてもらいました。

 当時はキャッチボールの1球目から怒られたり、本当に厳しく指導されていたので怖い存在でもあったのですが、今ではあのとき宮田さんに教えてもらって本当によかったと思っていますし、宮田さんに教わったことを若い選手に伝えようと努力しています。今年の国頭キャンプには6人の新人が参加しています。ファイターズのコーチ陣が彼らにプロ野球界のイロハを教えてくれることを信じています。(日本ハムGM補佐)

 ◆宮田征典氏 前橋から日大を経て62年に巨人に入団。63年から救援に専念し、リリーフ専門投手の草分け的存在として登板が午後8時半頃となることから「8時半の男」と呼ばれた。69年引退後は西武、巨人、中日でコーチを務め、故障や不振の投手を数多く復活させた。06年7月13日に肝不全のため他界。

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