あの、男・岩鬼正美のコンバートにかかわりそうになった話

2020年12月22日 14:00

野球

あの、男・岩鬼正美のコンバートにかかわりそうになった話
ダイエー時代の小久保 Photo By スポニチ
 【君島圭介のスポーツと人間】ときは2001年のこと。ダイエーの主砲だった小久保裕紀がぽつりと漏らした。
 「俺、岩鬼がいるから三塁守らせてもらえないんだよね。今年、ホームラン王を獲ったら水島先生にお願いしてみようかな」

 その日、漫画家の水島新司氏が東京ドームを訪れていた。友人の王貞治監督(当時)に会うためと、連載中だった「ドカベン プロ野球編」のリサーチを兼ねていた。

 近鉄・ローズ、中村紀洋、西武・カブレラらとハイレベルな本塁打王争いをしていた小久保の言葉を水島氏に伝えた。雑談の中での何気ない話題だったが、温和だった水島氏の目つきが一瞬でギラギラと輝いた。

 「小久保くんは今、何本打ってる?」。それからしばらく黙ると、「よ~し。今年タイトルを獲ったら岩鬼はコンバートだ!」

 焦ったのはこちらだ。あの岩鬼正美を三塁のポジションから追い出すきっかけを作ってしまった。葉っぱをくわえた巨漢から「テメエ、先生に余計なこと言いやがって」と凄まれている気がして落ち着かなかった。

 昭和に生まれた男の子のご多分に漏れず、毎週「少年チャンピオン」の発売日を待ち焦がれた。駄菓子屋の店頭に漫画が並ぶと、真っ先に「ドカベン」を開いた。プロ野球や甲子園より先に水島氏の漫画で野球が好きになった。年上の従兄弟の部屋に入り浸っては「男どアホウ甲子園」「球道くん」「一球さん」を読みあさった。

 中でも岩鬼は特別な存在だった。葉っぱをくわえた風体や悪球打ち。態度は悪いが人情味がある愛すべきキャラクターだ。その最初の所属球団に、思い入れ深い福岡ダイエーホークスを選んだのは、水島氏自身が岩鬼を愛していた証と思っている。

 その岩鬼の明訓高校時代からの定位置を奪ってしまうかもしれない。小久保はハイペースで本塁打を量産したが、当時の本拠地・福岡ドーム(現ペイペイドーム)は、ホームランテラスのない日本一広い球場だった。最終的に44本塁打で、日本記録(当時)に並ぶシーズン55本塁打を達成したローズに阻まれ、自身2度目のタイトルには届かなかった。

 小久保には本当に申し訳ないが、実は少しほっとした。やっぱり「花は桜木、男は岩鬼」、そして岩鬼は三塁がよく似合う。水島氏が執筆活動から引退を発表したとき、ショックの後で、あのときのドキドキを思い出した。ちなみに「ドカベン」の中で01年シーズン本塁打王に輝いたのは、同本数で西武・山田太郎と岩鬼だった。(専門委員)

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