【内田雅也の広角追球】日はまた昇った――甲子園球場の初日の出

2021年01月01日 08:15

野球

【内田雅也の広角追球】日はまた昇った――甲子園球場の初日の出
甲子園球場の初日の出(2021年1月1日午前7時15分撮影) Photo By スポニチ
 三塁側アルプススタンドと左翼スタンドの合間からのぞいた光がグラウンドを照らした。御来光である。
 2021年1月1日、午前7時15分、甲子園球場に光が差し込んだ。暗く紫色だった場内が少しずつ少しずつ、赤く、初茜(はつあかね)に染まっていく。西の空には丸い居待ち月が浮かんでいた。

 甲子園球場で初日の出を拝むようになって9年目になる。2013年から毎年元旦に訪れているが、同じように見える陽光も、毎年どこか表情が異なっている。

 もちろん、天候の違いはある。御降(おさがり)の雨や雪にあったことはないが、晴れたり曇ったり、風が吹いたり、ないでいたり、光の色や輝きの具合は微妙に異なっている。

 いや、元旦の甲子園の表情の違いは、その時々の自身の心境の違いなのかもしれない。昨年の正月には考えもしなかった疫病禍に見舞われ、生活は一変した。新型コロナウイルスと闘いながら迎えた新年である。

 今年は何を思ったか。

 目の前に誰もいない甲子園球場が広がっている。昨年春から夏、何度も目にした光景である。

 昨年4月に緊急出版されたイタリアの物理学者・作家、パオロ・ジョルダーノの『コロナの時代の僕ら』(早川書房)を読み返している。第1波のパニックにあった当時に書かれたものだ。

 <忘れたくない物事のリスト>をつくり<僕は忘れたくない>という言葉で10項目列挙している。<僕は忘れたくない。ルールに服従した周囲の人々の姿を。そしてそれを見た時の自分の驚きを。病人のみならず、健康な者の世話までする人々の疲れを知らぬ献身を。そして夕方になると窓辺で歌い、彼らに対する自らの支持を示していた者たちを>。

 野球人、野球ファンは無人の野球場を忘れてはならない。春夏の高校野球甲子園大会が中止となった。プロ野球は開幕を3カ月延期した。公式戦が始まっても当初は無観客だった。無人の野球場は寂しく悲しかった。

 第3波が訪れ、年末にはさらに感染が急拡大していた。大みそかのNHK紅白歌合戦で松田聖子が「夜明けの来ない夜はないさ」と『瑠璃色の地球』を歌っていた。

 『日はまた昇る』でアーネスト・ヘミングウェーは冒頭に旧約聖書・伝道之書の一節を記している。<世は去り世は来(きた)る 地は永久(とこしなえ)に長存(たもつ)なり 日は出で日は入り またその出(いで)し処に喘(あえ)ぎゆくなり>

 小説は第1次大戦後、未来への希望を欠き、人生に絶望を感じた「失われた世代」たちの日常を描いている。

 映画『ミッドナイト・イン・パリ』(2011年、監督ウディ・アレン)では主人公が1920年代のパリにタイムスリップする。ヘミングウェーたちを「失われた世代」と呼んだ女性作家ガートルード・スタインのセリフがある。「私たちはみんな、死を恐れ、宇宙での存在意義に疑問を持つ。芸術家の仕事は、絶望に屈服するのではなく、存在の虚(むな)しさへの解毒剤を見つけることなのよ」

 まだまだ先の見えない世の中だが、希望を持って前を向きたい。野球場に大観衆、そして大歓声が戻る日を辛抱強く待ちたい。
 日はまた昇った。光は球場全体を覆った。雲の間から青空が見えた。(編集委員)


 ◆内田 雅也(うちた・まさや) 1963(昭和38)年2月、和歌山市生まれ。桐蔭高―慶大卒。85年4月入社。高校野球、近鉄、阪神担当などを経てデスク、ニューヨーク支局長、2003年から編集委員(現職)。主に阪神を書くコラム『内田雅也の追球』は15年目を迎える。

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