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【内田雅也の広角追球】あいみょん「聖地」のママは「聖地」甲子園に3年連続出場 歌姫と球児に思う奇跡

2024年03月30日 08:52

野球

【内田雅也の広角追球】あいみょん「聖地」のママは「聖地」甲子園に3年連続出場 歌姫と球児に思う奇跡
(写真上)神戸山手女子高校時代コーラスの練習。左から2人目が十河裕子さん (写真下)高校時代と現在の十河さん Photo By スポニチ
 【内田雅也の広角追球】ブラスバンドの応援も歓声も聞こえてくる。「ヘンゼルカフェ」は甲子園球場にほど近い、おしゃれなレストランだ。
 近年は西宮市出身のシンガー・ソングライター、あいみょんが高校時代に通った店として有名になった。全国、時に海外からもあいみょんファンが訪れる「聖地」である。店にある「あいみょんノート」はファンの書き込みであふれている。

 経営者の「ママ」、十河(そごう)裕子さん(80)は高校時代のあいみょんを「おとなしいお嬢さんでした」とよく覚えている。2020年9月、あいみょんが久しぶりに来店し再会を喜んだ。<私を強く抱きしめた/だから私もあなたを強く抱きしめた>と詩『歌姫』に書いた。

 高校生のあいみょんをつづる。<白いワイシャツに黒のズボン/大きなメガネをかけて/お友達といつも三人で/日曜日にはボイストレーニングに東京に行くって/歌手になるって/この小さなカフェで/話していたわね>

 当時は「まさか、本当に歌手になって、あんな立派になるなんて思っていなかった」。歌手やヘアメークアーティストになると上京し、夢破れた若者を何人も知っていたからだ。だから詩でも書いた。<あなたの秘めた大きな力を/私はあの頃/何故(なぜ)気づかなかったのだろう>

 若者は大いなる可能性を秘めている。また、甲子園から歓声が届いた。現在開催中の選抜高校野球に出場する高校球児たちもまた<秘めた大きな力>の持ち主でもある。

 実は十河さんもセンバツに3年連続出場している。神戸山手女子高校時代、開会式で大会歌『陽(ひ)は舞いおどる甲子園』(当時)を歌った。一般生徒は新3年生だけだが、同校中等部から音楽部に所属していた十河さんは3年連続で出られたそうだ。

 “初出場”は1960(昭和35)年。開幕2日前の3月30日、組み合わせ抽選会が大阪毎日ホールであり、大会歌を合唱した。毎日放送(MBS)がテレビ中継していて緊張した。

 開会式は4月1日だった。「朝早くに甲子園球場前に集合して、開会式が始まる前に入場しました。長い時間動けず立ったまま。背筋を伸ばしていました。すごい大観衆でした」。野球の聖地は人で埋まっていた。観衆発表は実に7万。緊張のなか、幾度も練習してきた大会歌を歌いあげた。

 大会は祖父の母校、高松商(香川)が優勝を果たした。61、62年も開会式で「歌いきりました」と達成感を抱いた。

 大会に出た同年代の選手から、阪急・山口富士雄(高松商)、長池徳士(撫養)、巨人・柴田勲(法政二)、東映・尾崎行雄(浪商)、ロッテ・八木沢荘六(作新学院)……ら、多くのプロ野球選手が生まれた。ふつうの高校生が大スターになる。何げない日常に奇跡はひそんでいるのかもしれない。

 十河さんも日常を大切にしている。店で販売するオリジナルTシャツには、大好きな「赤毛のアン」の言葉が英語で記されている。『アンの青春』にあり、村岡花子は次のように訳している。

 「一番幸福な日というのは、すばらしいことや、驚くようなこと、胸のわきたつようなできごとがおこる日ではなくて、真珠が一つずつ、そっと糸からすべり落ちるように、単純な、小さな喜びを次々に持ってくる一日一日のことだと思うわ」

 野球の聖地のすぐ近く、あいみょんの聖地で、十河さんは毎日を大切に過ごしている。(編集委員)

 ◆内田 雅也(うちた・まさや) 「ヘンゼルカフェ」を初めて訪れたのは阪神担当になった1988(昭和63)年。甲子園でのナイターの試合前、ハンバーグや鶏そぼろ定食をよく食べていた。球団や球場にかけ合い、記者席まで出前をしてもらっていた時期もあった。1963(昭和38)年2月、和歌山市生まれ。今年2月、著書『知将・岡田彰布 「勝つ力」にあふれた33のメッセージ』(ビジネス社)を刊行した。

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