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亀山つとむ氏、鳴尾浜の思い出語る 施設完成に感激した当時「チームづくりに与えた影響は計り知れない」

2024年09月25日 16:20

野球

亀山つとむ氏、鳴尾浜の思い出語る 施設完成に感激した当時「チームづくりに与えた影響は計り知れない」
亀山つとむ氏 Photo By スポニチ
 1994年10月に完成し「平成の虎の穴」として多くの猛虎戦士を育てる礎となった兵庫県西宮市にある鳴尾浜の阪神2軍施設は今季をもって終わりを迎え、2025年3月には同県尼崎市に完成する新施設に移転する。現役時代に鳴尾浜を知る阪神OBで本紙評論家の亀山つとむ氏(55)が思い出を語った。
 1988年に阪神に入団したときは合宿所が甲子園球場横の初代「虎風荘」で練習場は尼崎市にある浜田球場だった。室内練習場もウエートトレーニングの施設もなかった。阪神バスの車庫を間借りした形だったから、練習の合間の食事も、バスの運転手さんの社員食堂を使っていた。球団も設備投資をして、若手を育てる意欲に乏しかった時代があった。

 それだけに、鳴尾浜が完成したときは感激した。当時としては最新の設備を整えており、その後の阪神のチームづくりに与えた影響は計り知れない。充実した設備と甲子園サイズのグラウンド。野球に集中できる環境があった。食堂のご飯もおいしかった。ランチやうどんをよく食べた。

 でも、自分にとっては鳴尾浜時代は苦しく、もがいていたころだった。(新庄剛志とともにブレークした)92年の「亀・新フィーバー」のあとは成績も下降線。95年は開幕直後(4月16日の巨人戦)にグレン・デービスと試合中に衝突して腰椎を骨折。できたばかりの鳴尾浜でリハビリに明け暮れた。

 甲子園の横を通りすぎて、鳴尾浜に向かう毎日。「きっと戻ってやる」と心に誓ったが、現実は大歓声との距離が開くばかり。「正座事件」とか「遅刻事件」で騒がれることもあった。いろいろ事情はあったんだけど…。(1軍では4試合出場に終わった)97年に戦力外通告を受けて、現役を引退した。低迷するチームを一新するため、多くの選手がユニホームを脱いだ年だった。でも、みんなで「辞めるからって、ちんたら練習するのだけはやめよう」と最後まで鳴尾浜でしっかり練習を続けた思い出はある。やりきった自負はあった。

 次は尼崎の新球場の時代が来る。若手が常に切磋琢磨(せっさたくま)を続け、阪神だけではなく球界を代表するような選手を育てる場になってほしい。(本紙評論家)

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