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【我が道】アントニオ猪木㉚ きょうはあしたへの贈り物

2022年10月04日 12:00

格闘技

【我が道】アントニオ猪木㉚ きょうはあしたへの贈り物
デビュー50周年を迎え「きょうはあしたへの贈り物」と花を掲げる(撮影・橋本田鶴子) Photo By 提供写真
 今年はデビュー50周年だけど、実は意識していなかった。芸能人がデビュー何十周年と言うのは現役で芸能活動を続けているからだ。オレの現役は引退(1998年)で終わっている。周りが企画するからやっているんだけれど、この調子じゃ「アントニオ猪木50周年」も再来年やるんじゃないか!?本名の猪木寛至から改名したのが1962年だったから。まあ、これは冗談。

 先日、ラッシャー木村さんが亡くなった。深い付き合いはなかったけれど、80年代前半、オレとの熱い闘いがあって新日本プロレスを支えてくれた。ジャイアント馬場さんは99年に亡くなり、大木金太郎さんら日本プロレス時代の仲間もほとんどこの世を去った。オレも現役時代のケガの蓄積で、普通の人と比べればボロボロの体だ。

 リング上で死ねたら本望という部分はある。実際、三沢光晴さんが昨年、試合中に亡くなった。プロレスラーがリングに上がるのはある意味で昔の武将が戦に出るようなものだ。死ぬことを恐れていては戦はできないし、実際、試合中に亡くなったレスラーは何人もいる。隣り合わせの死を回避するのは日ごろの鍛錬しかない。故人には失礼な言い方になってしまうけれど、試合中の死は鍛錬不足の結果とも言える。しかし、それでも、プロレスラーがリングで死ぬのは本望だと思う。

 オレがこうして生きているのは「命を与えられている」という感じがする。引退はしたけれど、「アントニオ猪木」というキャラクターが残っている限り、いろんなことに挑戦し、夢を与えてゆかなくちゃいけない。

 最近、リングでオレが歌うのはファンへの思いの表れだ。現役中は体を張って「苦しさを乗り越えろ。限界を超えろ」とメッセージを送ってきた。引退してからは別の形で伝えなくちゃいけなくなった。昔の自分からすればリングで歌うなんて想像もできない姿だ。しかし、オレ自身が常日ごろ、みなさんに対して良く生きる手段として「馬鹿( ば か )になれ。恥をかけ」と勧めている以上、自分もやってみせなくちゃいけない。歌うのは嫌いじゃないけれど、正直、恥ずかしい。

 詩集にしても、現役時代は考えもしなかったことだ。10年前に出した「馬鹿になれ」はいまだに売れていて版を重ねている。詩集を作るレスラーなんて過去にはいなかった。オレは誰もやらないことに興味がわくんだ。まだまだやりたいことはたくさんある。

 最近ふと頭に浮かんで気に入っている言葉を、最後に、みなさんに贈りたい。

 「きょうはあしたへの贈り物」 (おわり)
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