寛平「アーメマー!」4カ月かけてNY到着
2009年07月10日 06:00
芸能
「メチャメチャうれしい。まさか、こんなにゴールに集まってくれるとは思ってもいなかった。スリー、ツー、ワン、アーメマー!」
ファンと一緒に決めた“歓喜のアメマ”。足を痛め、苦難の日々を乗り越えられたのはファンの声援のおかげだった。
「へこむ時もいっぱいあったけど応援メッセージに力をもらった」
公式ブログに連日、数百件の応援コメントが寄せられただけでなく、米国在住の日本人が毎日応援に来てくれた。ロス出発当初は立ち止まって応えていたが、次第に人数が増えていったため、寛平の体調と走行中の安全を考慮したスタッフがブログ上で集合場所を指定。集結したファンとふれ合うことで、モチベーションをアップさせていった。
応援してくれたのは日本人だけではない。食事に入った店の従業員、車ですれちがう運転手。みんながひた走る寛平に声をかけた。「僕が下向いて苦しんでるとヤンキーみたいな兄ちゃんが車を止めて助けにくる。日本人は見て見ぬふりするけどアメリカは全然違う」
5月2日にはアースマラソン応援歌を書き下ろしてくれた歌手の忌野清志郎さんが死去。涙で顔を腫らした寛平は左肩に喪章をつけて走った。この日、赤い帽子に黄色いタイツ、ピンクのシューズでゴールしたのは派手好きな清志郎さんのためだった。
つかの間の休息を経て現地時間14日朝にヨットで大西洋に出航する。足の疲労をとることが先決だが「休めすぎたら陸で走れないから船でも筋トレはやっとかないと」と気を引き締めた。