キャナァーリ・あゆべえ 被災地で気づいた「対話の大切さ」 (1/2ページ)
2011年03月28日 12:50
芸能
「風呂に入ってゆっくり寝たい」「安らぎがほしい」。私が伺ったお話の中で強く印象に残っている言葉です。
東京から車でおよそ2時間、距離にして100キロほど東にある旭市。太平洋に面した市の沿岸部に飯岡地区はあります。
実際に海岸付近を歩いて初めて被害の大きさを実感しました。海岸沿いの道はひび割れ、全壊している住宅や外観は大丈夫だけど中は流されてしまったお家があったり。全壊したお家をただただ眺める方々の姿も。私が住んでいる同じ県なのに、こんなことが起きているとは。そう思うと言葉が出てきませんでした。
避難所へ突然お邪魔したにも関わらず、丁寧にご対応いただいたのは飯岡地区の区長渡辺訓光さん(61)とご両親が被災された石坂恵子さん(56)でした。
渡辺さんは20数人が寝食をともにする教室で、新聞各紙を一面から丹念に読んでいました。宮城や岩手の津波、福島の原発事故に比べると「ここには電気もあったし、毛布もあった。食事もおにぎり1個の時もあったけど、物資は比較的早く届いた」とお話してくださった上で、こうもおっしゃいました。
「最初の2、3日はどこも旭市の状況を伝えてくれなかった。津波があったのは知ってるはずなのに、なんで取り上げてくれねんだって思いもあった。少しでも出ていれば、安否確認やこういう状況だっていうことを知り合いがわかるのに。東京から近過ぎて、目が行かなかったのかな…」
渡辺さんのお宅も大きな被害を受けたと言います。「通帳も印鑑も1階にあったから、大事なものはみんな流されてしまった。着の身着のまま逃げてきた」。
余震が続く14日には東電が行った計画停電地域の対象になり、午後5時から電気が止まってしまいました。「なんで災害地にやるんだ!って思ったよ。電気があれば全然違う。真っ暗なところで地震でグラグラってなると怖いんだ」。車のヘッドライトなどで外から明かりを灯しながら夜を過ごしたそうですが、どれほど精神的に不安だったことでしょう。
震災から2週間が過ぎて渡辺さんは、しっかりと復興へ向けて気持ちを切り替えています。「いい方へいい方へ考えないと。あとを振り返ってもしょうがない。何も無くなったんだから、前に進まないと」。その力強い目。元の生活に戻れるように前だけを向く姿に、本当に心打たれました。