長門裕之さん死去 最愛の妻のもとに逝く
2011年05月22日 06:00
芸能
長門さんは昨年8月に心臓疾患で倒れ、大手術を受けた。経過は順調だったが、ことし2月に今度は脳出血でダウン。自宅で療養を続けたが、舞台復帰を夢見て4月から板橋区のリハビリ病院に入院していた。津川によると、最後の会話は3日前。「“新作映画を撮る。兄貴も出てくれよ”というと“よし”と前向きに意欲を見せていた」と明かした。
20日まで元気だったが、この日昼すぎに容体が急変。主治医のいる文京区の病院に移送したが、既に意識がなかったという。医師は心臓マッサージを続ける一方で、午後3時すぎに津川に連絡。「自分が行くまでなんとか、もたせてほしい」の願いもむなしく息を引き取った。臨終は俳優修業中の弟子がみとったという。
遺体は午後9時15分に世田谷区の自宅に無言の帰宅。津川と妻で女優の朝丘雪路(75)は30分前に駆けつけ、兄の亡きがらを迎えた。
芸能界でも屈指のおしどり夫婦として知られた南田さんとは61年3月に結婚。56年に公開された映画「太陽の季節」で共演したのがきっかけだった。フジテレビの音楽番組「ミュージックフェア」の司会を2人で65年から約16年間務めた。
愛妻家の顔を持つ一方で、浮名も多く流した。85年11月に出版した「洋子へ」では、奔放な女性関係を実名で赤裸々に暴露し世間を騒がせた。この騒動で、CMの降板などを余儀なくされ、芸能活動には大きなダメージとなった。
05年に南田さんが認知症を発症。08年秋にテレビ番組で公表し、闘病の様子と長門さんの献身的な介護ぶりが話題を呼んだ。暴露本「洋子へ」の罪滅ぼしの意味もあったと話していた。しかし、介護のかいもなく、南田さんは09年10月21日にくも膜下出血で死去。同30日に営まれた告別式で長門さんは「凄い喪失感と失恋を久々に味わわせていただいた」「いとしい、いとしい、いとしい、いとしい洋子」とあいさつし、参列者の涙を誘った。三回忌を前に、長門さんは“いとしい妻”のもとに向かった。
◆長門 裕之(ながと・ひろゆき、本名加藤晃夫=かとう・あきお)。1934年(昭9)1月10日、京都市生まれ。61年に結婚した南田洋子さんとの事務所「人間プロダクション」を74年に設立。59年に映画「にあんちゃん」でブルーリボン賞主演男優賞、63年に「古都」で毎日映画コンクール男優助演賞。