津波で家を失っても…家族の愛、絆を歌い続ける東北出身シンガー
2011年09月12日 15:32
芸能
反響を呼んでいる理由の1つはLGM自身が被災者という点だ。現在は故郷の福島に妻と3歳の長男と暮らしているが、震災前までは仙台市宮城野区に住んでいた。津波によって家を流され、家族とともに寒さと空腹に耐えながら4日間避難所暮らし。泥だらけの毛布一枚に家族がくるまって暖を取った時もあった。その後は知人宅を2カ月間転々。活動再開後は毎週のようにライブを行い「3090」を歌い続けた。
曲が生まれたのは昨年。故郷を離れ仙台市に住み始めた時に制作した。ふと窓から美しい夕焼け空を見て、父親との思い出が脳裏をよぎったという。「全てその時のリアルを込めた」。歌詞に登場する「駐車場では補助無しのチャリ、何度も転ける少年」といった光景を実際に見て、幼少時の思い出や当時抱いていた感情をつづっていった。
LGMは10年前、父親に勘当された。実家を飛び出した10年前から父親に会ったのは1度きり。その間に結婚し、1児の父となった。「どうしても婚約者と息子を父親に見てほしくて会ってもらった。数年ぶりに会う父の口からは、やっと会いにきてくれた、やっと孫を抱けたという言葉。その時は涙が流れた。それからは父親が遠く離れた街へ1人で移り住んだので会っていません」。
決して冗舌ではないが、とにかくステージでは明るい。震災後は「毎日、出来るだけたくさん笑うように心がけている」。観客に子供連れを発見すると「パパさん、ママさん、その子の手をギュッと握ってやってください」と呼びかける。「自分の周りにありふれている小さな幸せや家族の絆、両親へのありがたみを改めて深く感じていただきたい」。思いを込めて「3090」を歌う。今後は震災遺児たちを音楽で支援したいという。「音楽でその子たちが少しでも笑顔になってくれたり、少しでも音楽を通して何かを伝えられるのならばラジカセ一つでも持って歌いに行きたい」。