島倉千代子さん死去「死後に迷惑かけたくない」最後まで優しい人
2013年11月09日 06:00
芸能
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60周年を迎える来年に向け、歌への情熱は消えなかった。3度受けた手術は、喉に影響がない手法を選択。10月の退院後は、南こうせつ(64)に作曲を依頼した新曲「からたちの小径(こみち)」を自宅で収録したほどだ。
最後のステージは6月21日、入院先から向かった宮崎県延岡市で開かれた競演コンサート。島倉さんは「最後の1曲」と言うと、ギター1本の伴奏でひばりさんの「越後獅子の唄」を歌った。歌手を目指すきっかけとなった曲だった。島倉さんは公演後に病院に戻った。病床から、九州でコンサートを続ける仲間たちに「台風が近づいているけど大丈夫?」とメールを送るなど最後まで周囲を気遣った。
「泣き節」といわれる哀愁を帯びた歌いぶりで魅了し、紅白は35回出場。しかし私生活は悲しい出来事が多かった。それでも「好きな歌を歌っているのが、生きてること」と、歌はやめなかった。借金はキャバレーで歌って返済、乳がん治療で失った声は訓練で取り戻した。「人生いろいろ」は特に思い入れが強く、「私の人生そのものが、“人生いろいろ”。自分の歌のよう」と語っていた。
おごらず、気配りのきく人柄。使用した楽屋や旅館の部屋は、出る前に自分で掃除をした。部屋を出た後、テーブルには「汚したままでごめんなさいね 千代子」と書かれた手紙が必ずあった。
遺体は島倉さんがあらゆる面で相談をしてきた住職がいる都内の寺院に安置された。死期を悟り、後見人や住職に「もしもの時にはここに(遺体を)安置してほしい」と“遺言”を残していた。「死後に迷惑を掛けたくない」という思い。最後まで心優しい人だった。
◆島倉 千代子(しまくら・ちよこ) 本名同じ。1938年(昭13)3月30日、東京都生まれ。日本音楽高等学校卒。54年、コロムビア全国歌謡コンクールで優勝し、専属歌手に。55年「この世の花」でデビュー。発売シングルは300枚以上、レコーディングは1600曲以上にのぼる。57年から86年までNHK紅白歌合戦に連続30回出場。99年紫綬褒章を受章。