オバさんにはならない森高千里 ミニスカ今も、セルフカバー160曲に
2015年02月17日 10:30
芸能
♪ミニスカートはとてもムリよ、若い子には負けるわ(92年「私がオバさんになっても」)
「ミニって年をとっても似合う方が多くなりましたよね。私もステージ演出として必要ならはきます。もともと好きなので」
13年3月に15年ぶりの公演を行って以降はライブづいている。昨年はツアーに加え、洋楽の大物が集う「サマーソニック」に参戦し、渋谷のクラブにも出演。今年はジャズの老舗「Blue Note」から始動した。
「久しぶりのライブ当初は声が出ないな、とか表現方法を取り戻せずに照れちゃいました。お客さんとのやりとりを重ねるうちに、声も出るようになり自然と体も動いて“次はこう表現したいな”って欲も出てきた」
ステージではドラムも叩く。国内屈指のドラムス奏者、村上“PONTA”秀一(64)らが絶賛する腕前だ。
「レコーディングで使っていたセットを自宅に持ち込んで練習していたんです。子供も興味を持ってくれたので、叩かせてあげたくなって」
12年からセルフカバーがライフワーク。You Tubeに公式チャンネルを開設し、200曲を目標に公開中。17日現在160曲目。過去の自分の作品と向き合い新たな編曲で歌う。
「自分で作詞していなかった初期は歌詞を理解できず背伸びして歌っていた。今は、こういう意味だったんだなって分かる。恥ずかしくて歌えなかった言葉も歌える」
夫は俳優の江口洋介(47)。1女1男の母でもある。ツアー中は現地に泊まらず、一度帰宅して出直すこともある。
「結婚前は完璧夜型。夜もレコーディングが続き、帰宅して朝方寝て、起きたら“笑っていいとも!”が始まっている生活。それが家庭に旦那さんがいて子供がいて朝型になって超健康。子供が帰ってくる時間を見計らってご飯を作る。その合間に仕事の時間をつくる」
ずうずうしく子育ての悩みまで聞いてもらった。わが子が5年間習ったピアノに嫌気がさしていることを相談してみると――。
「私もピアノの先生になりたくて小さい頃から習った。厳しくて練習しないとピアノに鍵をかけられたりして。嫌な思いもした。音楽って楽しむもの。弾きたい曲の楽譜を見つけてあげると長続きするんじゃないかな」
87年のデビュー当時はアイドルブームが落ち着き、バンドブームのまっただ中。「自分らしさを出す」方法は「自分の言葉で歌う」ことだった。初作詞曲から独特の言葉遣いが強烈だった。
♪お嬢様じゃないの、わたしただのミーハー!(88年「ミーハー」)
「自分はミーハーだったんです。最近“ミーハーって何の意味?”と言われちゃう。そういえばもう使わないですよね」
奇想天外の歌詞が多い。吉田拓郎(68)が我々が今まで何十年もかけてつくり上げた世界観を、森高が一瞬で破壊してしまった」と評価したほど。「勉強」や「授業」はサボるものだと歌うのがロック/ポップスの定石だったが、森高らしさはもう一ひねり。
♪勉強は、しないよりも、しておいた方がいいわ(91年「勉強の歌」)
「自分自身がもう少し勉強しておけば良かったなと思って書いた。今は子供にも、そうなんだよという立場で歌える」
曲ができた後に歌詞を乗せる「曲先」タイプ。例えば「渡良瀬橋」(93年)は地図帳を開いて、目に留まった名称の言葉の響きから着想を得た。
「海をイメージしたら夜中でも車を自分で運転して見に行く。恋愛ソングは自分を主人公に置き換えたりした。(独身時代の)後半は私が将来どうなっていくのかな?と悩んでもいたので女性目線の曲が多いですよね」
中でも「私がオバさんになっても」は一番の代表曲と紹介されがち。それ以上のヒット曲が、たくさんあるのだが…。
「(この曲に)ここまで引きずられるとは思ってもみなかった…。タイトルに引っかけられて記事を書かれることが多くて“またか”みたいな。そう(オバさんって)いわれないように、がんばるしかないですかね~」
断言しよう。森高はオバさんにはならない。
◆森高 千里(もりたか・ちさと)本名江口千里。1969年(昭44)4月11日生まれ、熊本県出身。87年「NEW SEASON」でデビュー。89年、南沙織のカバー曲「17才」でブレーク。99年に結婚した江口洋介との間に1女1男。血液型O。