十朱幸代 輝き続ける秘密「嫌なことは忘れ、いつも前へ前へ」
2015年10月25日 10:50
芸能
「お芝居の役によって自分とは違う人物になれる、そして、その人の人生を生きることができる。新しい役が頂けるかぎり何度でも自分の知らない人生を歩めるんですから。それが一番の魅力ですね。女優って本当に退屈しない仕事、でも、それが特別だなんて思ったことはありません」
きっと生まれた時から、目の前にスポットライトへのレールが敷かれていた人なのだろう。父親は小津安二郎監督の「東京物語」などにも出演した俳優の故十朱久雄さん。その影響もあって子供の頃から、映画や舞台、ドラマを身近に感じていたという。デビューは高校1年生の時、NHKのドラマ「バス通り裏」だった。
「当時は生放送ですからセリフを忘れてもそのまま放送されてました。最初はいいアルバイトみたいな気軽な感じだったんですよ。でも、失敗があまりに多過ぎて共演者の皆さんに申し訳なくて。少しでも追いつこうと無我夢中でしたね」
運命は不思議なもの。その1年後、初めての映画のオファーも舞い込んできた。木下恵介監督がメガホンを取った「惜春鳥」。主演の津川雅彦の相手役に抜てきされた。時は日本映画の全盛期。会津若松でロケも行われた。
「きょうはお天気が悪いから撮影は中止しようとか、あそこに雲が必要だからあしたにしようとか、いい時代でしたね。私も何も知らずに、いい意味、天真爛漫(らんまん)にやらせてもらってました」。そんなフレッシュな姿が好感されたのか、その後、何本ものスクリーンで娘役としてかれんな花を添えた。
宮尾登美子さんの小説を映画化した「櫂」「夜汽車」で主役を演じ、東京・芸術座で上演された山本周五郎の「柳橋物語」が原作の舞台「おせん」で初の座長を務めた。
「周囲は劇団などできちんと稽古してきている俳優さんばかりでしたから。いきなり“私が主役でいいの”という気持ちでしたね。何もできなくて、楽天家の私もさすがになりふり構わずという感じでしたね」
これが飛躍の作品となった。その時の踏ん張りが女優としての大きな原動力になった。
人気や運にも大きく左右される世界。長年、その道を走り続けるには、人並み以上の精神力も必要。自身の性格を分析してもらった。
「嫌なことはなるべく早く忘れることにしています。全て良い方、良い方へ考える。だから、これまでやってきたことは全てが楽しかったですね。もともと過ぎたことはあまり覚えてないんですけど。いつも前へ前へですね」