真相は不明のまま 原節子さん 95歳で死去 独身貫き親族が看取る
2015年11月26日 05:30
芸能
![真相は不明のまま 原節子さん 95歳で死去 独身貫き親族が看取る](/entertainment/news/2015/11/26/jpeg/G20151126011576800_view.jpg)
原さんは、姉の夫である熊谷久虎監督の勧めで35年に日活多摩川撮影所に入社し、15歳で「ためらふ勿(なか)れ若人よ」でデビュー。このときの役名がそのまま芸名になった。
日本映画史を象徴する女優になったのは小津安二郎監督と出会ったことが大きい。小津作品に初めて出演したのは1949年の「晩春」。当時の原さんは西欧的な顔立ちとあふれる気品で、戦後民主主義を象徴する新時代のヒロインを演じることが多かった。だが「晩春」では、父親を敬慕する古風な一人娘の役。小津監督は続く「麦秋」(51年)などでも原さんに貞淑で慎み深い女性を演じさせ、「内面的な深さのある演技」(小津監督)を引き出した。
「東京物語」(53年)をはじめとする原さんの出演作は、“世界の小津”と称された小津監督にとっても円熟期の作品。2人には結婚の噂もあった。
原さんは独身を貫いたこともあり“永遠の処女”という肩書で、映画界を代表する女優として君臨。だが62年11月に公開された101本目の出演作、稲垣浩監督「忠臣蔵 花の巻・雪の巻」で大石内蔵助の妻りくを演じたのを最後に突然引退。翌63年12月12日の還暦の誕生日に小津監督が亡くなり、その通夜に参列してから一切公の場にも姿を見せなかった。
義兄の実家近くの薬店に買い物に訪れていたというが、そのことが報道陣に知られると、姿を見せなくなった。
42歳の引退にさまざまな臆測が流れたが、真相は不明のまま。「小津監督に殉じた引退」が一番説得力を持って伝えられた。