野坂昭如さん告別式 妻・暘子さん愛情たっぷり“悪口”でお別れ
2015年12月20日 05:30
芸能
暘子さんの喪主あいさつは、夫への悪口で始まった。歯に衣(きぬ)着せぬ発言と、型破りな行動で知られた夫のお株を奪う“野坂節”。だが、言葉とは裏腹に、涙で震える声からは愛情があふれ、弔問客は目頭を押さえた。
2003年に脳梗塞で倒れた夫を常に傍らで支え、13年間口述筆記で執筆活動もサポート。「こんなに長く生きてくれて」とサングラス姿の若き日の遺影に語り掛けた。
野坂さんは、戦争体験を基に書いた「火垂るの墓」で直木賞を受賞。反戦を訴えて参院選に出馬し、1983年に初当選を果たした。一方で歌手やタレントとしても活躍。テレビの討論番組では激しい論争を展開した。
暘子さんは元タカラジェンヌ。19歳で野坂さんと出会った。夫が大事にした言葉として「戦争をしてはならない。巻き込まれてはならない。戦争は何も残さず、悲しみだけが残るんだ」を紹介。「“火垂るの墓”は世界で読まれています。日本の大切な一冊になってほしい」と思いが伝わり続けることを願った。
野坂さんが歌う「黒の舟唄」などが会場に流れ、作家仲間らとつくったラグビーチーム「アドリブ倶楽部」のメンバーが遺影の前で部歌を歌い、バイオリニストの佐藤陽子さんも演奏する音楽葬として営まれた。戒名はない。野坂さんは生前「そんなのいらない」と話していたという。最愛の妻がユーモアと毒のある野坂さんらしさを守り通した。
◆主な参列者 永六輔、五木寛之、小林亜星、小山明子、檀ふみ、横山剣、左とん平、松島トモ子、五街道雲助 (順不同、敬称略)