お笑いと野球「二刀流」杉浦双亮 転機となった2度の無死満塁
2016年02月14日 11:05
芸能
昨年11月5日。四国ILのトライアウトに参加していた杉浦は、初の実戦形式のマウンドに立った。エラーとヒット2本でいきなり無死満塁のピンチ。気を落ち着けようと靴ひもを結び直していたところ、球を受けていた現役捕手が気を利かせてマウンドに来た。
「“いきなり試練だなあ”と、1人で笑ってたんですよ。それを見た捕手が凄い驚いてて。“なんでこの人笑ってんの?”って思ってたそう」。これで気が楽になった杉浦は、後続を完璧に抑える。セカンドライナーからのダブルプレー、続く打者も遊ゴロ。無失点で切り抜けた。「野球が楽しいと思えたんですよね。自分を見失わずに投げられました」
東京・八丈島生まれ。小3で野球を始め、定位置は4番ピッチャー。「小中では俺よりうまい選手を見たことがなかったので、プロに行けると本気で思ってた。お山の大将だったんですけどね」。言葉通り、高校で大きな壁にぶつかった。
名将・前田三夫監督率いる強豪・帝京高に進学。在籍中に春夏3回の甲子園に出場し、高2の春は全国制覇も果たした。1学年上のエースは巨人などで活躍した三沢興一投手。自身も最速141キロを計測した速球派だが、「隣で投げてて、モノが違いました。もう完成された投手で。俺は未完成。あ、ミカン成…、愛媛につながりましたね」。芸人魂を見せながら当時の思い出を語るも、杉浦の表情は切なかった。
プロへの夢が砕け散ったのも無死満塁。三沢らが引退し、主力の投手になると期待された2年秋。練習試合・藤嶺藤沢(神奈川)戦だった。「コントロールがクソ悪くて、いきなり3者連続四球で無死満塁。ベンチを見たら、もう前田監督が鬼の形相ですよ」。杉浦は監督の重圧に負けた。4番打者に満塁弾を打たれ、すぐさま交代。それ以来、引退まで一度もマウンドに上がれなかった。将来の夢もお笑い芸人へと変わり、97年に帝京高の同級生、山内崇(40)とコンビを組んだ。