元NHKアナ西田善夫さん死去 五輪、野球実況…スポーツ一筋
2016年02月29日 05:30
芸能
西田さんは3年ほど前から足腰を悪くしており、外出する機会が減っていた。別の関係者は「元気にしているとは聞いていたが、最近は高齢ということもあってか体力的に大変そうだった」。素顔の西田さんを「お酒は多くは飲まなかったのに、スポーツについて話しだすと止まらなかった」と惜しんだ。
西田さんは1958年にNHKに入局。28歳の時に東京五輪の女子バレーボールの実況を担当し、東洋の魔女の活躍などを伝えた。その後も、五輪は夏冬合わせて10大会でテレビ・ラジオの実況に携わり、高校野球も30年にわたり熱戦を伝え続けるなど、スポーツ実況の礎を築いた。巧妙な語り口と“スポーツ愛”あふれる実況はお茶の間でも人気を博し、選抜高校野球の「勝って泣き、負けて泣く、センバツの決勝」など数多くの名実況を残している。
1996年に定年退職した後は、解説委員を続けながら、鹿児島県の鹿屋体育大学や立大などで「スポーツとジャーナリズム」について教壇に立ったほか、98年から2002年まで横浜国際総合競技場(現日産スタジアム)の初代場長などを歴任。晩年はスポーツアナリストとして活躍していた。
◆西田 善夫(にしだ・よしお)1936年(昭11)2月8日、東京府(現東京都)生まれ。58年に早大法学部を卒業後、NHKにアナウンサーとして入局し室蘭放送局に初任。札幌放送局所属時の64年に東京五輪の実況に抜てきされる。その後プロ・アマの野球を中心にスポーツ実況で名を上げ、NHKがメジャーリーグワールドシリーズ中継を初めて行った77年の「ヤンキース対ドジャース」の実況も担当した。90年にはスポーツアナウンサーとして初めて局の解説委員に就任した。96年に定年退職。鹿屋体育大、立大、聖学院大の教授を歴任した。
◇西田善夫さん葬儀日程
【前夜式】3月1日午後6時半
【葬儀】 2日午前11時
【場所】 東京都北区上中里1の1の12、日本基督教団滝野川教会=(電)03(3910)1997
【喪主】 長男・善太(ぜんた)氏