おニャン子幻のエース“喫煙解雇”から激動の人生 国生さゆり涙
2016年06月03日 20:00
芸能
当初、ファンの間で「おニャン子のエース」と呼ばれたのが会員番号7番の友田さん。グループの代表格として人気を博した4番・新田恵利(48)とともにセンター扱いで出演した。
しかし、グループ結成から、わずか1週間後。おニャン子クラブ創設メンバーの6人が新宿の喫茶店で喫煙しているところを週刊文春が激写。その後の報道で、当事17歳の友田さんを含む5人がグループを追われることになった。
当時、友田さんはカッコよくタバコを吸うことが“大人の女”と勘違い。“事件”の夜は「吸っていました」と喫煙を認め、文春記者に写真を撮られた時は「まず一瞬頭が白くなって固まった。ギョッとしたし。『しまった』というか。すぐには(事態が)理解できなかったですね」と振り返った。
「アイドルになりたい人が多かったので『もう、これで終わり』『夢が絶たれた』みたいな感じ。このことがなければ、私も楽しくコンサートをできたいたんだろうなとは思いました。残念ではありますね」と当時の心境を吐露した。
グループを追われた後は定職には就かず、イベントコンパニオンなどをした。24歳の時には婚約解消の憂き目に遭った。その後、独学でデザインを学び、30歳の頃から手縫いのバッグを制作。わずかな生活費を稼いでいたが、情報誌の片隅に掲載されたバッグの写真をきっかけに口コミで広がり、注文が殺到。カリスマモデル・黒田知永子が持つまでになり、友田さんは一躍、人気デザイナーになった。
友田さんは「(おニャン子クラブの)みんなが頑張っている姿があるから、私も頑張らないな、とは思いました。また、おニャン子のメンバーと会えたらいいなと思いますね」と今の思いを語った。
スタジオでVTRを見守った元おニャン子クラブの国生さゆり(49)は涙。「おニャン子クラブを扱う番組には、なるべく出させてもらおうとしているんですよ。30年前に私たちを応援してくれた人たちがいるから(私が)出ないことによって、おニャン子クラブが忘れられてしまうのがよくないと思って。友田さんが『みんなが頑張っている姿があるから、私も頑張れる』とおっしゃってくださったので、やってきてよかったなと思って。同窓会やりたいですね」と話した。