1989年の中森明菜
2016年09月11日 09:10
芸能
明菜が歌う時、天から神が舞い降りるのではないか、と思ったことがあった。低音が心地よく聞こえる声の質、巧みにメロディーを操る声の艶、高音で迫力が出る声の張り。耳に入って来る歌はまさに「完璧」としか言いようがなかった。それは今から27年前の1989年、よみうりランドEASTで行われたデビュー8周年記念ライブを見た時のことだ。
あのライブで明菜はデビュー曲「スローモーション」から当時の新曲「LIAR」まで計24曲を歌った。シングルとして発売した楽曲だけを歌うという、8周年記念にふさわしくファンにとって願ってもない構成だった。あの頃は、85年に「ミ・アモーレ」、86年に「DESIRE」と2年連続で日本レコード大賞を受賞した後で、彼女が歌い手として円熟期を迎えた時期でもあった。特に、ライブの中盤、彼女が神の声で「ジプシー・クイーン」「TANGO NOIR」「ミ・アモーレ」という激しく濃密な3曲をたたみかけるように歌うところがもの凄い。日本が生んだ屈指のボーカリストだと実感する。
あれから何度も彼女のライブを聴きに行った。95年のパシフィコ横浜、97年と98年の東京国際フォーラム…。いずれも、彼女の歌の魅力を十分に実感することができた。あの頃は二度目の円熟期で、歌のテクニックの面ではピークだったかもしれない。しかし、残念ながら、神が舞い降りると感じることはなかった。そして、この10年間は、明菜のライブにはもう行かなくていいと思っていた。封印だ。彼女の歌を聴きたくなったら、棚に眠るCDかDVDを引っ張り出せばいい。
しかし、わずかに心が動いた。ジャンルが全く違うのだが、メジャーリーグで、42歳のイチロー選手と43歳のコローン投手が対戦するのを、たまたまテレビで見たからだ。面白かった。例えコローンが160キロの剛速球を投げられなくなっていても、勝負に緊張感があることに変わりない。一流というのは最後まで一流なのだ。
さて、年末のディナーショーである。仕方ない。もう少しだけ悩んでみるか。(専門委員)
◆牧 元一(まき・もとかず)編集局文化社会部。放送担当、AKB担当。プロレスと格闘技のファンで、アントニオ猪木信者。ビートルズで音楽に目覚め、オフコースでアコースティックギターにはまった。太宰治、村上春樹からの影響が強い。