「真田丸」大坂の陣は大型ロケ!50m巨大セットに1カ月 台風もスタッフ総力
2016年11月12日 08:00
芸能
幸村は大坂城の弱点・南側を守るため、平野口に出城・真田丸を築き、大坂冬の陣で徳川の大軍を撃退した。
まだ暑さの厳しい9月上旬。昼すぎ、最寄り駅から車に揺られること、約45分。山道を抜け、ロケ地に着くと、360度、カメラに映り込む建物など障害物が何もない広大な“平原”が広がっていた。そこに真田丸が勇ましくそびえ立つ。一気に400年前にタイムスリップした。
砦の前には大きな穴、空堀がある。ショベルカー2台で地面を4・5メートル掘り、土塁を盛り上げるのに約3週間。塀や櫓などのセットを持ち込み、美術スタッフ約15人で建てるのに約1週間。真田丸の完成には約1カ月を要した。幅約50メートルは当時のもの(幅約250メートル)の5分の1。
8月下旬に岩手県に上陸した台風10号が途中、房総半島付近を通過。堀に人の背丈ほどの水がたまるピンチに見舞われたが、急きょ業務用のポンプ4~5台を稼働して水抜きした。美術チームを統括する丸山純也シニア・ディレクターは「水を抜いても、下がぬかるんだ状態。実際はかなりドロドロだったと思うので、逆に本物に近いというか、足が取られて芝居がおもしろくなったかもしれません」。逆境をチャンスに変えた。
セットを造るにあたり、時代考証資料はあったが「どのように番組なりにオリジナルのものを造るかが一番苦労しました」。こだわりの1つは、真田丸の塀に赤土を使った仕上げ。「通常、土壁は黄土色っぽい色で、赤土はあまり使わないんですが、(左官の)挾土秀平さんが制作したタイトルバック(「真田丸」の題字)の赤土、真田の赤につなげたいという狙いはありました」と意図を明かす。
大河ドラマ5作目のベテランで、大河美術の歴史を受け継ぐ丸山氏は「大河で大坂の陣を取り上げる時、スタジオ収録で済ませることが多いんです。関ヶ原の戦いは比較的やりますが、大坂の陣をきっちりロケで撮影したのは僕が記憶している限り、初じゃないですか。最近は施設をお借りすることが多く、イチからオープンセットを建てるのは難しい時代。当然、予算もかかりますし。ただ最後、大坂の陣はロケで撮っておかないといけなかったんです」と力を込めた。
制作統括の屋敷陽太郎プロデューサーも「大坂の陣は幸村にとって最大の見せ場の1つ。最大限の力を入れました。そもそも大河ドラマで大坂の陣をロケで撮ったのは、少なくともこの20年はないと思います。そういう意味でも、大河史上に残る合戦シーンになれば。堺さんも殺陣の稽古や乗馬の稽古をたくさん重ねましたから、視聴者の皆さんに思う存分、楽しんでいただきたいです。今後、大坂の陣が大河ドラマで描かれる時は『真田丸』の映像が使われるぐらいに、という思いでした」と手応えを示した。
◆堺雅人「スタッフの努力の結晶」「スケールの大きさ、臨場感は絶対伝わる」
夕刻、堺が取材に対応。「台風を心配していましたが、美術部の人たちが本当に頑張って。大坂城を守るのも大変ですが、セットを守るのも本当に大変なんだと思いました」と感謝。「スタッフの皆さんの努力の結晶があって、視聴者の方々にもスケールの大きさ、臨場感は絶対伝わると思うので、楽しみにしていただきたいと思います」と呼び掛けた。
約250人のエキストラが参加し、迫力満点の合戦シーンを撮影。堺は幸村の代名詞・赤備えの鎧に身を包み、馬上で幸村を名乗り、槍を振り回すなどした。久々のロケに「秀吉との『大坂編』から緻密なお芝居が続いていましたが、たまにはこういう大運動会みたいなのもいいんじゃないですか。開放感が全然違います。気持ちよかったです。晴れてよかったです」と心地よい汗をぬぐった。
「日の本(ひのもと)一の兵(つわもの)」と称えられた幸村の猛将ぶり、獅子奮迅の活躍がついに描かれ、ドラマは最高潮を迎える。