微笑によって永遠の大河となった真田丸
2016年12月25日 09:30
芸能
このドラマは、始まる前から、幸村が最後に敗れて死ぬことが分かっていた。歴史的事実がそうだからだ。私も何冊かの小説で幸村が敗れて死ぬ場面を読んだ。「真田丸」は幸村の最期をどのように描くのか。脚本の三谷幸喜氏にとって、それが今回の大河の重要な課題だった。
真田丸の撮影は10月27日にクランクアップしていた。いつもなら大河のクランクアップはメディアに公開されるが、今回は公開されず、翌28日になって撮影の全日程が終了したことが発表された。その際にNHKの関係者は私に「最後の場面はこの物語が集約される形になっているので期待してほしい」と話した。その最後の場面が、幸村が切腹する前にほほえむ場面だったのだ。
この場面を成功させた要因は、幸村のセリフの少なさだと思う。人はそれが重要であればあるほど冗舌に語りたくなるものだ。脚本家ならば、主人公がこれから切腹するとなれば辞世の句でも詠ませようと考えるかもしれない。少なくとも、人生を振り返るような一言を口にさせようと考えるだろう。ところが、三谷氏は幸村にほとんど何も語らせなかった。語ったことと言えば、長年自分のために働いてくれた佐助(藤井隆)へのいたわりの言葉だけ。「いくつになった?」「55でございます」「疲れたろ?」「全身が痛とうございます」「だろうな」という会話だった。49歳で死んだとされる幸村より佐助の方が実は年上だったという、一種のオチに笑った人もいるだろう。
しかし、私は、この軽さにこそ、強いリアリティーを感じた。この先、自分が切腹を体験することはないだろうが、例えば病気か何かで死んでゆく時、もし口がきける状態であるならば、意外にどうでもいい話をするのではないか。間違いなく辞世の句は詠まないし、人生も振り返らない。現実とはそういうものではないかと思う。重大な局面に限って思わず軽口をたたいてしまうものだ。
全50話に及ぶ物語を生きてきた主人公の最後のセリフが「だろうな」。そして、あとはほほえむだけ。それゆえに、堺雅人の真田幸村は永遠の人となり、三谷幸喜氏の真田丸は永遠の大河となった。(専門委員)
◆牧 元一(まき・もとかず)編集局文化社会部。放送担当。プロレスと格闘技のファンで、アントニオ猪木信者。ビートルズで音楽に目覚め、オフコースでアコースティックギターにはまった。太宰治、村上春樹からの影響が強い。