「朝生」30年〜“偉大なるマンネリ”と新機軸

2017年01月22日 09:00

芸能

「朝生」30年〜“偉大なるマンネリ”と新機軸
田原総一朗氏 Photo By スポニチ
 【小池聡の今日も手探り】深夜から未明にテレビで繰り広げられる言論バトルが4月で放送開始30年を迎える。テレビ朝日の討論番組「朝まで生テレビ!」だ。時には制御不能な言い合いに発展。学生時代から楽しみにしている番組だ。
 並み居る論客を前に司会として進行をハンドリングするのがジャーナリストの田原総一朗氏。昭和9年生まれで、よく口にするのが「戦争を知る最後の世代」。自ら参戦し毎回のテーマに付される「激論!」を誘発することもあり、そのエネルギーには脱帽させられる。そう言えば、番組初期から活躍し、礎を築いたのが映画監督の大島渚さんと作家の野坂昭如さん。田原氏同様、いずれも昭和1ケタ生まれ。あれだけ強烈なインパクトを与える人は今はそういない。寂しい限りだ。

 引き込まれる理由の一つは、バトルとも呼べる「激論!」がいつ勃発するかという生放送ゆえの緊張感。他のパネリストの虎の尾を踏むような発言が飛び出るか、開戦のゴングを聞き逃すまいと、討論の流れを踏まえておのおのの主張に聞き入る。

 そうした観点から、年明け恒例の「元旦スペシャル」を見ていたら、発言がいきなり断ち切られる事態が発生。「朝生」とコラボし、別のスタジオで議論を展開していたインターネットテレビ局「AbemaTV」による割り込みだ。経済ジャーナリストの荻原博子氏が家計に与えるトランプ・ショックの影響などを論じている場面。Abema版で司会を務めていた元NHKアナウンサーでジャーナリストの堀潤氏が「議論中、申し訳ありません」と登場し、2つのスタジオを中継する2画面に。トランプ時代における日本の自主路線のあり方など、それまでのAbema版での論点が突然説明された。緊張の糸は切れ、瞬間的だが視聴熱は冷めた。田原氏が荻原氏に発言の続きを促したのは救いだった。

 AbemaTVはIT大手のサイバーエージェントとテレビ朝日が共同出資して運営。「元旦スペシャル」の冒頭では、初の試みとしてコラボしての放送になると告知され、Abema版が若手論客をそろえたことから、幅広い世代による議論が期待できるとアピール。テレビ朝日での議論に資する材料をAbema版から「フィードバック」とも紹介された。

 あくまで討論番組。議論の筋を追えればよいとの考えもあるかもしれない。しかし、両スタジオ間での以下のやりとりは、何か気に掛かる。

 テレビ朝日 「そちらはこちらの議論を聞いて議論するというスタイルでやっているんですか」

 AbemaTV 「ところどころですね。“朝生”でどのような議論されているのかという情報が入ってきます」

 これを聞く限り、Abema版はコラボ相手の状況を随時、議論に反映。対して“本家”の視聴者にはAbema版の様子は分からない。一方通行との印象が拭えない。

 割り込み以前にもコラボはあった。それはCM明けにテレビ朝日側から呼び掛けたもの。それでも、やはりAbema版の状況を知らされていない以上、それまでの論点をいきなり説明されても入り込めず、若手論客たちの熱も伝わりにくい。その後の「フィードバック」も感じられない。

 ポイント、ポイントで2つのスタジオをまたいで、それぞれのパネリストが討論を展開するのが一番分かりやすい。一方、最近ではツイッターなどに寄せられた視聴者の意見を番組中に画面下部で紹介する手法も増えてきている。Abema版での論点を表示し、議論に反映させれば、視聴者も付いていける「フィードバック」的演出に少しはつながる気もする。

 敬意を表して言えば、ご老公の印籠を前に悪代官らがひれ伏す「水戸黄門」ではないが、一家言持つ論客たちが楕円形に陣取り田原氏が長時間にわたり仕切る「朝生」は、ワクワク感を増幅させるテーマ曲、パネリスト紹介時のBGMも含め、討論番組界の“偉大なるマンネリ”だ。急速に“進化”するIT時代にあって、新機軸を取り入れ、どう“深化”していくのか。次回のゴングが鳴るのは27日深夜だ。(編集委員)

 ◆小池 聡(こいけ・さとる)1965年、東京都生まれ。89年、スポニチ入社。文化社会部所属。趣味は釣り。10数年前にデスク業務に就いた際、日帰り釣行が厳しくなった渓流でのフライフィッシングから海のルアー釣りに転向。基本は岸からターゲットを狙う「陸(おか)っぱり」。

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