あの頃のローラ 新しい母は中国の人 言葉分からずいつも緊張 将来は「学校つくりたい」
2017年02月15日 21:43
芸能
「もう、何で言うの。まろまろめ〜。ぷ!」とおどけるローラだが、今まで話したことがなかったという子供時代について語り始める。
父に連れられ、バングラデシュから日本に渡ったのは7歳のころ。双子の兄と3人で来たのだという。「家族っていっても、お母さんいなくて。新しいお母さんは中国の人で」小学校では日本語、家では中国語。どちらもまったくわからない。唯一話せたのはベンガル語だが、父親はほとんど家にいない。家賃数万円の団地で暮らしていたが、家の中でも常に緊張していたと明かす。コミュニケーションは、とにかく身振り手振りで行っていた。
「苦しかったけど、あの頃に戻りたくないって思わないの」というローラ。「言葉もしゃべれないし、肌の色もみんなと違うし。でも、いじめられたことが1回もないの。温かい人たちばっかりで…」今でもとても感謝しているのだという。悔しかったこともあるし、言葉が分からなくてもどかしい思いをしたこともあったけれど、「よし、超えてやるぞー、というか。“強いパワー”になって後からやってくる。そういう経験があったから、今の自分もいるのかな〜」と語る。
後にモデルとしてデビューしたローラは、「ベストジーニスト」も「ネイルクイーン」も3年連続グランプリで殿堂入り。きらびやかなファッションに豪華な手料理、海外でのプライベートショットなど、おしゃれな私生活満載のインスタグラムは、フォロワー数420万人にのぼる人気ぶりだが、「夢を持ってる人とか、少しでもヘルプができたらいいなって。今、自分ができるのは何かなって考えてる」と、いつもの笑顔の奥に秘めた大きな夢を明かした。