ケンカ最強伝説も…渡瀬恒彦さん 兄・渡哲也の前だけでは“弟の顔”
2017年03月16日 10:54
芸能
そんな最強男がリスペクトし、そして甘えられる存在が兄の渡だった。兵庫県淡路島から上京し、学生時代は新宿で共同で下宿生活を送った。兄は青山学院大学、弟は早稲田大学で空手部に籍を置き、心身を鍛えた。渡は木製のハンガーを手斧(おの)で割ったが、弟の渡瀬さんの方が腕は上だったという。
渡はその後、日活に入社したが、実は勝手に書類を出して、俳優になるように仕向けたのは弟の渡瀬さんだった。やがて弟も役者の道に進む。そして共演こそ多くはなかったが、互いに一目置くスター俳優に成長。1995年に阪神淡路大震災が起こると、渡瀬さんも兄が率いる「石原軍団」に合流して、故郷の淡路島や芦屋市に駆け付けて炊き出しを実施。カレーや焼きそばを振る舞って被災者を勇気づけた。
その後も日本酒のCMで共演するなどして仲の良さを印象づけた。11年には71年のNHK「あまくちからくち」で双子を演じて以来、40年ぶりに「帰郷」で共演。医師兄弟の22年にも及ぶ愛憎劇だったが、千葉県市川市行徳で行われた制作発表会見は今でも語り草だ。
互いの印象を聞かれた渡は「身内なので非常に申し上げにくいのですが、弟は私をはるかに超えた俳優になったなと。野球のピッチャーに例えるのなら、私はボール気味のストレートしか投げられないのですが、弟の場合はフォークとかスライダーも投げられるうまい役者になった」と絶賛。
これには渡瀬さんも照れくさそうな表情を浮かべながらうれしくてたまらない様子。「(兄は)相変わらず直球しか投げられない人だなと感じました」と憎まれ口を叩きつつも「でも、僕は直球のスピードが出ないので、なんとかかわしながらでも…とセコいことを考えながらやっているだけなんです」と兄の真っすぐなところを称えた。
本気でぶつかりあった兄弟げんかのシーンは迫力満点。これが最後の兄弟共演となってしまうとは渡も思わなかったかもしれない。