上沼恵美子 京唄子さん悼み号泣 「大阪の宝」の言葉に救われた
2017年04月10日 12:57
芸能
上沼は放送開始直後に「京唄子さんがね…」と話し始めた。子どもの頃から「おもろい人やな〜、お笑いやってるのにキレイで…」と憧れの存在だったことを明かし、最近でも「あの師匠がそこにいらっしゃるから、こっちもしゃべりやすいというか安心感があった」と心の支えであったと告白した。
京さんには感謝してもしきれないエピソードがあった。上沼が77年に結婚し、一度は芸能界を引退したが、79年10月放送スタートのNHK朝ドラ「鮎のうた」で“女優復帰”することに。当時、共演者らから「辞めたんちゃうんかいな?」「辞めた人間はすっこんどったらええのに」などと罵声を浴びせられたという。しかし、同じく出演者だった京さんが上沼の姿を見つけ「いや〜千里ちゃんやないの!あんた(芸能界に)帰ってこなアカンと思とったんよ、大阪の宝なんやから」と大声で喜んだことで周囲の誹謗(ひぼう)中傷がなくなったという。
京さんと上沼の亡くなった実母が同じ年だったことにも触れ「母とダブるところがありましてね。でもいくら私の母でも“大阪の宝なんやから”とは言えないと思う。(京さんは)芸能界の母でした。あのひと言がなかったら、あのドラマの後、芸能活動はやってないと思います」と感謝した。