映画「標的の島」から、「共謀罪」と沖縄を考える
2017年04月14日 08:46
芸能
沖縄県の統計資料によると1972年(昭47)の戦後復帰以来、2015年までの43年間、米軍構成員による犯罪検挙件数は5896件。うち殺人などの凶悪犯は574件。
稲嶺市長の「今回もまた…」の「また」はこうして繰り返されてきた。
映画の舞台は、自衛隊のミサイル配備が計画されている先島諸島の宮古島と石垣島へとうつる。賛成派と反対派が島の世論を二分する。
ミサイル配備計画の背景にあるのは、中国脅威論。有事の際に南西諸島を通過し太平洋への展開を目指す中国艦船を食い止めるために島を“軍事要塞化”するための配備であるという。
映画の登場人物は、島に生きるごくフツーの人たちである。
宮古島の反対派、36歳、子どもを持つ母親は「戦禍の中で苦しんだ祖先がいるわけだから、私たちは小さいころからその話を聞いて心の底に平和を求める血が流れている」と話す。
石垣島のおじぃの「備えのあるところに弾は飛んでくる。こんな小さな島でどこに逃げるのか」。
映画のタイトルにある「標的の島」。再び島を戦場とすることで、沖縄を本土の、米国の「風かたか」にしようするのか?反対派の声だ。
自衛隊配備撤回を求める署名を持って上京し、防衛省を訪れた照屋寛徳参院議員。防衛計画班長らの対応に机を叩いて声を荒げる。
「さる大戦で軍隊は住民の命を守らなかった。軍隊は軍隊しか守らない。これが沖縄戦の実相であり教訓なんだ。さらに、あの悲惨な沖縄戦では、軍隊が駐留し配備されている島がみんな攻撃されたんだ」。
「さる大戦」で、唯一の地上戦が展開された沖縄では沖縄県民の約4分の1、12万2000人が犠牲になった。「鉄の暴風」といわれるほどの激しい戦いだった。数は定かではないが、日本軍によって殺害、または自死に追いやられた住民もいた。「軍隊は住民を守らない」は、戦争を生き残った人たちによって子どもや孫たちへと語り継がれてきた教訓だ。
映画の舞台は、ヘリパッド建設で揺れる高江、そして基地建設で反対運動が展開される辺野古へと移る。県民の8割が辺野古移設を反対しているという。
カメラが追うのは反対派の人たちだ。辺野古では20年間、ゲートの前に立つ85歳のおばぁ。なぜ立ち続けるのか?
「私はぶれない。私がぶれたら死んだ人に申し訳ないでしょ。だってあっちに浮いている死体の血が交じった水を飲んで生きたんだもん。それは絶対ら許されることではないわ」
非暴力の抵抗は、続く。オスプレイ離発着のための高江ヘリパッド建設反対派を排除するため、全国から1000人規模の機動隊が投入される。何人かで腕を組み、座り込みを続ける反対派を、屈強な機動隊員が数人がかりで担ぎ出す。国家権力は、圧倒的な力と量で反対派に迫る。
悲鳴をあげる反対派。それでも粛々と排除は進む。そんな機動隊員に対して、反対派は語りかける。「あんたはどこから来たの。恥ずかしいと思わないの」。そんな声にわざと目をそらす者、じっと目を見返す者…虚無の視線のかなたに何が見えるのか?
映画の挿入される沖縄の祭りや風俗。「エイサー」や「アンガマ」、「トゥーバーリャーマ」…沖縄の豊かな文化も描かれる。“戦場”と“まつり”、その対比を描く手法もあざやかだ。
この映画に関連して。
映画にも登場する沖縄平和運動センターの山城博治議長らが、米軍北部訓練場のヘリパッド建設と名護市辺野古の新基地建設の抗議行動に関連して威力業務妨害容疑などで逮捕・起訴。5カ月の拘留ののち3月に釈放された。微罪による長期拘留であり、人権侵害であるとの声もある。
「テロ等準備罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案が衆院本会議で審議入りした。政府は今国会での成立を目指す。
「共謀罪」である。
政府は、対象を組織的犯罪集団に限定し、一般の人たちは対象にならないとしている。
何をもって「組織的犯罪集団」と判断するのか。境界線があいまいだ。「共謀罪」の対象になる277の犯罪の中で、「組織的な威力業務妨害」も含まれる。仮に同法が成立した場合、沖縄の基地移設、高江のヘリパット建設反対派は、国の言うことを聞かない「組織的犯罪集団」と判断される懸念もある。
だから、なおさら、いま沖縄から目が離せないのだ。
「標的の島」は5月19日までポレポレ東中野で上演。(専門委員)
◆笠原 然朗(かさはら・ぜんろう)1963年、東京都生まれ。身長1メートル78、体重92キロ。趣味は食べ歩きと料理。