三遊亭円歌さん死去 88歳 テレビ創生期に三平、円楽らと落語人気支える
2017年04月24日 05:30
芸能
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昨年11月に亡くなった3歳上のフリーアナウンサー・小川宏さんとは幼なじみ。当時は「今は足が動かなくて。年をとるのはいやだね」と笑い交じりで話していた。
元々は国鉄職員で、戦時中に空襲に遭っても寄席に通うほど落語好き。終戦後に2代目三遊亭円歌に入門した。親の反対を押し切って進んだ道だったが、最初の10年は戦後の混乱期でファンも寄席には寄りつかなかった。そんな崩壊寸前の落語界を救ったのが当時「三遊亭歌奴」と名乗っていた円歌さんと、5代目三遊亭円楽さん、初代林家三平さん。テレビ創生期の演芸番組に出演し、円歌さんは「山のあな、あな」で有名な新作落語「授業中」などで大人気となり、寄席に客を戻した。
テレビでも人気者となったが落語へのこだわりは強かった。初期「笑点」の大喜利メンバー(69〜70年)で「落語なのに何で6人でやるの?」と疑問に感じ辞めている。
型破りな面もあった。56歳の時には東京・本所の日蓮宗本法寺で得度と剃髪(ていはつ)式を行った。「昔から憧れだったんだよ」と話し、その後には僧侶として史上初めて高座に上がった。ほかにも落語界史上初の女性真打ち・三遊亭歌る多(54)を育てた。
1980年代後半には身延山(山梨県)の寺で修行した時に心筋梗塞で入院。その後、胃がんを患ったことを明かしていた。2000年12月には胃の3分の2とポリープを摘出する手術を受けたが、大好きなお酒をやめることもなかった。
空襲で戸籍が消失し、提出し直した祖母が間違えたため本当は88歳だが、戸籍上は85歳。5月27日には東京・三越劇場で「米寿を祝う会」を予定していた。最後まで現役にこだわった落語人生だった。
◆三遊亭 円歌(さんゆうてい・えんか)本名中沢円法(なかざわ・えんぽう)。1929年(昭4)1月10日、東京都墨田区出身。45年に2代目三遊亭円歌に入門、前座名は歌治。48年に二つ目に昇進し、2代目三遊亭歌奴と名乗る。58年に真打ち昇進。70年に3代目三遊亭円歌を襲名した。71年、「三味線栗毛」で文化庁芸術祭優秀賞受賞。85年に得度し、法名は本遊院円法日信。92年浅草芸能大賞受賞。落語協会では87年に副会長、96年に会長就任、06年から最高顧問を務めていた。