野際陽子さん死去 NHKアナから転身“才色兼備”の先駆け
2017年06月16日 05:30
芸能
才色兼備の先駆けだった。フジテレビ「花嫁のれん」の出演中に体調を崩し、検査の結果、早期の肺がんと診断されたのが14年。治療は成功したが声が出づらい状態が続いた。
翌15年春に再発し、摘出手術を受けた。一時は酸素吸入器を手放せないほどだったが、術後の抗がん剤治療が効いて次第に回復。仕事に戻ったが、今年5月に再び容体が急変。一人娘の真瀬樹里(42)や野際さんの親族、事務所スタッフらにみとられて息を引き取った。母の姿を思い、真瀬は「2度の手術、抗がん剤治療と、仕事をしながらの壮絶な3年の闘病でした。最期は、親族やスタッフに見守られ、抱きしめる私の腕の中で天国へ旅立ちました」とのコメントを寄せた。
野際さんは立教大学時代に「ミス立教」に選ばれた。同学年に長嶋茂雄さんや俳優の故高橋悦史さんらがいた。卒業後の58年にNHKにアナウンサーとして入局。62年にフリーに転身しTBS「女性専科」の司会を務めたが、同局のプロデューサーだった大山勝美さんに勧められて63年に「悲の器」で女優デビューした。
野際さんの名前を全国区にしたのが68年に始まった「キイハンター」だった。5年間放送され、時に視聴率が30%を超えた人気作だった。自ら志願して主題歌「非情のライセンス」も歌った。ドラマで共演した千葉と恋仲になり、73年に結婚。75年に長女の真瀬樹里を出産。38歳11カ月での初産は当時の芸能人の最高齢出産だった。
92年には「ずっとあなたが好きだった」で佐野史郎(62)が扮した息子・冬彦を溺愛する姑(しゅうとめ)役を演じて評判となった。仕事が順調な一方で米国に拠点を移した夫の千葉との間に亀裂が入り94年に離婚。以後、独身を貫いた。
黒柳徹子(83)とはNHK時代から60年近くも公私にわたって親交があり、「徹子の部屋」には女性ゲスト最多の21回出演。11年の福島第1原発の事故を受け、「放射能を無害にする技術ができない限り、ありえない」と反原発の立場を明かし、特定秘密保護法の制定にも反対を表明していた。
◆野際陽子(のぎわ・ようこ)1936年(昭11)1月24日、富山県生まれ。58年、NHKに入社しアナウンサーとなる。62年に退社しフリーとなりTBSの生番組「女性専科」で司会を務める。フランス・ソルボンヌ大に短期留学後、67年に同番組に復帰。フランス仕込みのファッションが話題となる。92年のTBSドラマ「ずっとあなたが好きだった」は最終回で34・1%の高視聴率を記録し社会現象にもなった。「必殺仕事人」「トリック」など数多くのドラマ、映画に出演。