「野球が好き」その一心で…ロッテドラ5・渡辺啓太がプロ切符をつかむまで
2017年11月13日 10:30
芸能
小学生時代の指導者、天井正之さんは「ひじ、肩の関節が柔らかく、スピンの効いた球を投げていたので」と4年生の時に捕手から投手に転向させたという。体は小さかったが、とにかく野球に対して一途で「雨で練習が中止になると泣きべそをかいていた」と明かした。
高校生時代の恩師、郷家邦博さんも「常に野球のことを考えていた。勉強?それはそれなりに……とにかく野球、野球だった」と振り返った。2年冬から3年春にかけて身長が1メートル60台から70台に一気に伸び、体重も増加。東日本大震災(2011年3月)直後の3年夏は、二塁手兼投手として夏の福島大会でチームの4強入りに貢献した。それでも、エースではなく、球速も130キロ台で全国的には知られた存在ではなかったという。
関係者によると「大学でも野球を続けたい」と願った渡辺は、東都大学リーグ所属の名門大学のセレクションを受験。しかし「体が小さい」との理由で不合格だった。プロ野球選手というと「特待生」のイメージがあるが、神奈川工科大は一般受験し、普通に授業料を納めていたという。
大学4年時に神奈川大学秋季リーグ戦で最優秀投手賞を獲得。NTT東日本に進み、社会人日本代表に選ばれるまでに成長してプロへの切符をつかみ、遅咲きの花を咲かせた。
小学生から中学生、高校生、大学生、そして、社会人と進むにつれ、野球から離れていく人も多い。「楽しくなくなった」「嫌いになった」という声も聞く。そんな中、夢を追い続けた渡辺の情熱の凄さを感じるとともに、「野球を好き」な状態のまま、次のステージへと導いた指導者にも“凄み”を感じた。 (記者コラム)