演出家・山本耕史の“働き方改革”「演出って何?」探し求めた答え
2017年11月21日 10:04
芸能
![演出家・山本耕史の“働き方改革”「演出って何?」探し求めた答え](/entertainment/news/2017/11/21/jpeg/20171120s00041000403000p_view.jpg)
「演出っていうと全部決めてるような感じですけど、僕も含めて俳優さんはある程度自分で演出している。演出家が100%分かるかといったらそんなこともない。分からないことは“みんなどう思う?”って聞く」
別の場面では、自分の後ろで控えめに演じるアンサンブル(役名のない、物語に厚みを持たせる役割)の女性に声を掛けた。「凄く良いと思うから、もっと大きくやってみてよ」と助言。出演者一人一人に物語を作る。「みんな余計なことをしないようにやろうとするけど、僕の場合は真逆。こんなやり方もあるんだと思ってくれたら良いですよね」
主演と演出家。その両方を一度にやるのはもちろん大変なこと。「でも、自分で決められなくて“こっちの方がいいのにな”ってストレスを抱えてやるよりは、大変さはあるけど自分で判断できるのはいいかな」
舞台監督らが座る製作陣の席と、役者が演じるステージの間に、ひとつのパイプ椅子がある。二役の山本のための椅子。時にはここに座ってチェック。台本を見ながら、舞台監督と話し込む。自分の出番が終わって袖にはけると、立ったままチェック。アンサンブルの動きを見て、「うん、うん」と納得するようにうなずいた。
とにかく稽古のペースが速い。メンフィスは2幕の舞台。上演まで3週間を残す時期に、早くも2幕の通し稽古を行っていた。「何回も通し稽古をやった後に本番を迎えさせてあげたい」
意識にあるのは舞台人の“働き方改革”。舞台やミュージカルは、本番直前にギリギリで完成する作品が多い。本番2日前に劇場に入り、初めて全体を通すなんてこともざら。その慣習を変えたい。「だから僕は最初からどんどん決めて早く作る。自分で言うのは何ですけど、稽古は順調です。俺、いまだに演出って何なのって思うんですよ。何をするのが演出家かと考えたら、みんなに気持ち良く仕事をしてもらうことだと思うんですよ」
10歳で初ミュージカルの舞台を踏んだ。30年以上の歴史の中で人生を一変させたのは、98年に出演したミュージカル「RENT」。さまざまなマイノリティーの人々が、毎日を生きる喜びを見つけ出していく名作。日本初演で主演の大役だった。
「ミュージカルをやったことのない劣等生ばっかりの現場。“これに出たら人生変わるってダマされた”とか、“お金もらえるって言われたから”とかね。けど、いざやってみるとひとりひとりが格好いい。雑踏の中からみんなが出てきて、そろっているわけでもない、振り付けをされてるわけでもないのに。衝撃的でしたね」
だから、演出をするときは“凸凹感”を大切にする。「優等生になる必要はないと思うんですよ。きっちり収まらない方が舞台は格好いい。決めるところでバッ!とそろってエネルギーが出る方がいいと思う」。型にハメない、自由度の高い演出は経験から来ている。
私生活では15年に堀北真希さん(29)と結婚した。昨年6月には第1子も誕生。「家族ができて責任感もできた。飲みに行く時間も昔に比べたら100分の1ぐらいになってる。でもその方が健康的ですよ」
お風呂に入れて、オムツを替えて、ご飯を食べさせてと、ごく普通のパパ。「楽しいから何でもやりますよ。でもね、一つだけできないことがね。それはね、おっぱいをあげることです」。そこは男だから仕方ない。
「泣きやませるのも僕はズルしないとできない。ギターを凄くデカい音で弾くとか、パパンがパンダ(アニメ)の動画を見せるとか。奥さんには“やらないで”って言われるんですけど。やっぱり母親は凄いですね」。赤ちゃんの演出はなかなか難しい。でも、その話をする表情はグッと柔らかい。
器用に演出してきた人生に見える。「あんまり優等生すぎてもな、と思いますよ。多少なりとも失敗はするでしょうし、人のことは言えるのに、自分のことは演出できないものなのかなって。自分で演出してるようで、きっと家族や周りにいる人たちに演出されてるんだと思いますよ」。周囲の演出家に引き立てられて、今がある。
◆山本 耕史(やまもと・こうじ)1976年(昭51)10月31日、東京都生まれ。生後6カ月で赤ちゃんモデルとして活動を開始。93年のフジテレビドラマ「ひとつ屋根の下」で注目を集める。04年の大河ドラマ「新撰組!」には土方歳三役で出演。マルチな才能の持ち主で、05年にはNHK紅白歌合戦の白組司会を務めた。「ドラゴンボール」の大ファン。趣味はバイク、ギター。1メートル79、血液型B。