サッチー急死 ノムさん憔悴「俺の方が先に逝くだろうと…」
2017年12月09日 05:30
芸能
同7時すぎ、病院から帰宅した克也氏は、集まった報道陣に対応し「突然のことでびっくりしています」と憔悴(しょうすい)し切った様子。沙知代さんは前日まで元気だったが、この日昼に食事を一口だけ食べて「いらない」と言い、克也氏が「大丈夫か?」と問い掛けても何も言えなくなったという。死因は分かっておらず「俺の方が先に逝くだろうと話していたのに。いい奥さんでした」と気丈に語った。
数年前からメディアに出演せず、知人によると、最近は物忘れが激しくなっていた。以前から「老いた姿は見せたくない」と話していたといい、行きつけだった都内ホテルの会員制サウナでも姿が見られなくなっていた。
歯に衣(きぬ)着せぬ発言で、バラエティー番組で活躍。フジテレビ「笑っていいとも!」で元SMAPの中居正広(45)が呼んだ「サッチー」の愛称で親しまれた。1996年の衆院選に旧新進党から出馬するも落選。99年には「ミッチー・サッチー騒動」でメディアをにぎわせ、公職選挙法違反容疑で告発もされた。
02年に脱税問題で有罪判決を受け、克也氏が阪神の監督を引責辞任する原因をつくった。一時芸能活動を休止したが、05年に若返りの整形手術を受けるなど再び世間を騒がせた。
その一方で、克也氏の野球界での活躍を支え続けた。結婚前年の77年、沙知代さんが監督室に出入りするなど公私混同を理由に南海(現ソフトバンク)の監督を解任された克也氏は、関係者から「野球を取るか、女を取るか」と迫られ「沙知代という女は世界に一人しかいない」と言い切った。その思いに応えるように、克也氏に代わって関係者にお礼状を執筆するなど裏方の仕事にも尽力。阪神監督辞任後、克也氏と楽天の三木谷浩史オーナーとの仲をとりもち、プロ野球の監督復帰の道もつくった。
周囲とトラブルを生む半面、克也氏との間に生まれた克則氏(44)のヤクルト入団時には入寮に同伴したり、前夫の墓参りを欠かさないなど愛情深い一面もあった。克也氏との結婚40年を来年に控え、天国に旅立った。
▼ヤクルト・野村克則2軍バッテリーコーチ(沙知代さんと克也氏の息子)突然のことで受け入れられず、今は悲しい気持ちではありますが、ここまで育ててくれた母に感謝しかありません。最後はしっかり見送りたいと思います。偉大な母でした。
◆ 野村 沙知代(のむら・さちよ)1932年(昭7)3月26日、福島県生まれ。57年に前夫の米軍将校と結婚。2児をもうけた。78年に克也氏と再婚。不動産管理・旅行代理業を手掛ける企業の役員を務めた。96年、フジテレビ「笑っていいとも!」に芸能人以外で初のレギュラー出演。元SMAPの中居正広に名付けられた「サッチー」の愛称でタレントとして活躍。99年にはCDデビューも果たした。