真琴つばさ 10年以上かけてつぶした声 宝塚の挫折を糧にさらに高みへ
2017年12月24日 10:30
芸能
美貌の長身。周囲からはいつも順風満帆に見られるが、現実は苦難の連続。一番の壁は、男役には不向きな彼女の声だった。
「もとは今よりも1オクターブも高かったんです。それを10年以上かけて低くしました。大きな声を出したり怒鳴ってみたり。それを繰り返して声をつぶしました。そのせいで大切な本番の時に声が出ないことも何度もありましたね」
入団して数年後のことだ。男役全員が燕尾(えんび)服を身にまとい大階段で踊る晴れのステージ。そのスポットライトから外された。すぐに劇団幹部に理由を尋ねた。答えは「やる気が見えない」。精いっぱいレッスンに励んでいたのになぜだろう。自分の居場所を失いかけた。
「あの時は下級生の姿を大階段の袖から見ているだけでした。さすがに“もうダメかな”と思いましたね。でも、不思議にどんなにつらくても、やめたいと思ったことはありません。自分の決めた道ですから」
演じること、歌うことが何よりも好き。この世界に入ってからたとえセリフひとつの役でも手を抜いたことはない。そして、芝居がハネると必ず1人でその日の自分を振り返った。何度も何度も繰り返し自分に問いかけ厳しくダメ出し。さらに高みを目指した。
「冷静になって反省すると見えてくるものがあるんです。それが分かると“明日はこうしよう”とか、“あそこはこんな感じでいこう”とか勇気が湧いてきますね。その日の後悔は次の日の希望です。今でもそれは変わりません」
いつしか人気実力を兼ね備えた伝説のトップに成長。TAKARAZUKA1000days劇場での「WEST SIDE STORY」(98年)、東京宝塚劇場の「いますみれ花咲く/愛のソナタ」(01年)はいずれもこけら落とし公演だった。
「面白いんですよ。劇場ってお客さまの感動や演じる側の汗、息づかいが染みこんでこそ初めて命が宿った空間になるんです。その作業のスタートですから。本当に光栄なことだと思ってます」
劇団を退く決意を固めたのは、退団公演の2年前、人気演目「ノバ・ボサ・ノバ」(99年)の上演中のことだ。アカペラで歌っているとなぜか今までにない幸せな気分に満たされた。「客席の皆さんとスタッフ、自分が一体になれたと感じたんです。その時、“もうこれでいつやめてもいい”と思いました」
この人にふさわしい完全燃焼だった。
◆ペットロス…翌日舞台袖でも涙
大の猫好き。悲しいペットロスも経験している。亡くなったおばから託された1匹の猫は、目が不自由でいつも鼻づまり。すでに何年生きているのかも分からなかった。
「最初はまさか自分が生き物を飼うなんてという感じでした。でも、一緒にいるとどんどん愛情が湧いてきて。本当に家族の一員。かけがえのない存在になってましたね」
今でも忘れない。最後の別れは、11年7月、出演していた喜劇「ニッポン無責任新世代」の公演中。「それが偶然にも休演日だったんです。少し前からもうだめかなって思ってたんですけど。私の腕の中で天国へ旅立ちました」
翌日も舞台。コメディーなのに袖に入ると涙がぽろぽろと止まらなかった。立ち直るまで時間がかかったが、大切なことに改めて気づかされた。現在はアビシニアンという種類の猫と同居中だ。
◆タンゴ、シャンソン…
今年はタンゴにも挑戦。「血が燃えるというか元々凄く好きなので、思う存分タンゴの魅力を堪能させてもらいました」とコンサートだけでなく、CD「タンゴのすべて」に「失われし小鳥たち」など2曲を収録した。そして、来年はシャンソン。尊敬するのは、故越路吹雪さん。自身も年齢を重ねるにつれ、この世界に心ひかれるようになった。
常に思うのは、「越路さんはなぜあんなに魅力的なんだろう」。以前、こんな話を聞いた。本番前、極度の緊張に襲われる越路さんは、背中に「虎」と字を書いてもらい、舞台へポンッと押し出してもらっていた。「偉大な先輩が少しだけ身近に感じられるようになりました。私も出番前はガッチガチなんです」
そう言えば、苦労して得たこの人の声はどこか越路さんに通じるものがある。「シャンソンは人生を歌うこと」。来年は「越路吹雪に捧ぐ〜トリビュートコンサート」(1月10日、大阪・梅田芸術劇場)、「坂東玉三郎 越路吹雪を歌う“愛の讃歌”」(4月12日、NHKホール)に出演する。
◆真琴 つばさ(まこと・つばさ)1964年(昭39)11月25日、東京都出身。85年、宝塚歌劇団に入団。花組に所属し「愛あれば命は永遠に」で初舞台。97年に月組主演男優に就任、哀愁漂う二枚目でファンを魅了。最近はバラエティー番組で多彩なトークを披露、水彩画の腕前にも定評がある。