小田和正、星野氏訃報に沈痛 35年来の友人 昨春殿堂入りでの食事が最後
2018年01月07日 09:00
芸能
関係者によると、2人が最後に会ったのは昨年3月24日。星野氏の野球殿堂入りが同1月に発表され、共通の知人を通じて食事の場が設けられた。星野氏は当時も闘病中だったが、元気に野球談議などに花を咲かせたという。
同じ1947年生まれで、小田も高校時代は野球部に在籍。お互いに「仙ちゃん」「和正」と呼び合う親しい間柄だった。
出会いは1982年、星野氏の現役最終試合。当時、人気バンド「オフコース」のメンバーだった小田は関係者から花束贈呈を依頼されて快諾し、球場で大任を果たした。
以来、星野氏は何度も小田のライブを観賞。サプライズでステージに上がり、小田ファンに笑顔を振りまいたこともあった。
08年の北京五輪で星野氏が野球の日本代表監督を務め、4位に終わった際には、小田がその直後のライブで星野氏について「ずいぶん叩かれたけれど、あとは上がっていくだけ」と語り、友人への気遣いを見せた。
楽天監督時代の13年には小田が本拠地開幕戦の始球式を担当。同年11月に楽天の日本一が決まると、小田は「涙があふれた。雨のグラウンドでみんなと一緒に胴上げしたかった」と話した。
関係者は「2人は会うと親友のように話し、星野さんは自身の野球に関する事欠かないエピソードを楽しそうに披露していた」と明かした。
全く予期していなかった友人の死。小田は「本当に残念です。ご冥福をお祈りします」と悲しみをかみしめた。