たけし、生放送で涙 大杉漣さん急逝後初めて語る「俺が生かして俺が死なせたみたい」
2018年02月24日 22:04
芸能
大杉さんにとって、北野武監督(たけし)は“俳優人生の恩人”。所属していた劇団「転形劇場」が1988年に解散した後、映像作品に本格進出した大杉さんにとって、大きな転機となったのが北野監督との出会いだった。
92年に映画「ソナチネ」(93年公開)のやくざ役のオーディションに参加。手違いで約1時間遅刻し、既に片付けが始まっていた会場で、スタッフと雑談する北野監督の元に歩み寄ったが、監督は2、3秒見ただけで「もう帰っていいですよ」の対応。大杉さんは以前、スポニチ本紙のインタビューで当時を振り返り「受かるわけないと思っていたら、3日後くらいに“大杉さんでいきますから”ですよ」と話し、驚いたことを明かしていた。
さらに、当初はすぐに死んでしまう役柄だったが、監督の「沖縄行かない?」の一言でロケに同行。ラストシーン直前まで“死期”が延び、この役で高い評価を受けて活躍の場を広げた。たけしは「漣さんは『ソナチネ』に受からなかったら、実家に帰って普通のサラリーマンになりますって言ってて遅れちゃうんだよね。でも、会ったら“あ、この人を使うべきだ”と思ったんだよね。単なるヤクザ事務所の電話番の役だったけど、電話で脅す演技がうまくてねえ。全部アドリブでやってって言ったんだけど、“金どうなってんだ、バカヤロー”とか延々とやれる。台本を書き直した」と当時を振り返った。
北野作品の常連となったほか、多くの映画やドラマに引っ張りだこに。暴力団組織の会長を演じた昨年公開の北野作品「アウトレイジ 最終章」が最後の出演映画になった。「アウトレイジの結末は漣さんが死ぬ役なんだよね。なんか凄く変な言い方だけど、俺が生かして俺が死なせたみたいな気になって…。申し訳ないなと思って」と涙ぐんだ。
「早いよね…。同じような人が世界中にいっぱいいるからしょうがないのだけど、やっぱり人間っていうのは自分の近い人の死とかは堪えるね。父親とか母親とか死ぬのこたえるのと同じように、友達や長い関係がある人がなくなると、相棒がいなくなったような寂しさがあるよね。縁があって自分の映画を支えてくれた人だからね」と悲しんだ。