宮沢りえ りえママとの“因縁の人生”に終止符 「再婚」は人生の新章
2018年03月17日 08:06
芸能
離婚後女手ひとつでりえを育てた光子さんは、凄腕のステージママとして仕事から交際相手まで公私全てをプロデュース。「りえママ」と呼ばれ、写真家の篠山紀信氏とヘアヌード写真集「サンタフェ」を仕掛け、電撃的な貴花田(現貴乃花親方)との婚約発表もその後の婚約解消も、日本中を驚かせた話題の陰には常に“りえママ”の姿があった。
一時は確執もあった母娘だが、りえは母の半生をなぞるように夫と離別し、愛娘をシングルマザーとして育てながら、たくましく走り続けた。親しい知人によると、そんなりえが「女性として母親と別の道をゆく、将来再婚するのでは」と予感させたのは、光子さんが他界した時。りえのコメントは自身の人生の“誓い”だった。
「最期に、生きるということの美しさと、凄(すさ)まじさと、その価値を教えてもらいました。そういった全ての宝物を胸に、私は、役者として、母として、女として、惜しみなく生きようと思います」
あえて最後に入れた“女として”の言葉に「もう一度女性としての幸せを、という思いを強く感じた」(知人)という。左手薬指の指輪は森田からの永遠の愛の証。その輝きは天国の母に届いている。