型破りでチャーミングだった可朝さん…こんな芸人もう出てこない

2018年04月18日 10:30

芸能

型破りでチャーミングだった可朝さん…こんな芸人もう出てこない
2008年10月、ストーカー事件から仕事復帰し、明るい表情を見せる月亭可朝さん Photo By スポニチ
 故横山やすしさんじゃないが、昭和の芸人にはたまらない色気がある。3月に急性肺線維症のため80歳で他界した月亭可朝さんもその1人だった。色気や愛嬌がなければ、周りに迷惑をかけながら60年も芸人を続けられなかっただろう。
 初めて取材したのは2001年7月の参院選出馬の時だ。大阪市内にあった選挙事務所で話を聞いた。ガランとした部屋で可朝さんは「ほんまに暑おまんな」と言いながらカンカン帽姿でセンスをバタバタしていた。公約に掲げていた「一夫多妻制」と「銭湯の男女の仕切り撤廃」で1時間ほど熱弁を振るった後に「これ、ギャラ出まんのか? わし、プロでっしゃろ」。こちらが絶句していると、「飯行きましょか?おごりまんがな。ドーンと紙面に出してもらわんと、ね」と言い出した。記者は当時、有権者でもあり「法律的にダメなんと違いますかね」と返すと、空気を察したのか「全部うそでんがな」とニヤニヤ。小さなことには無頓着で、どこまでが本当で、どこまでウソか分からない。チャーミングというか、胡散臭いというか「これが可朝さんなんや」と妙に納得した。

 ギャンブルに、女性が大好き。15年ほど前に、故喜味こいしさんから聞いたのだが、可朝さんは仕事先に向かうバスの中で、前を走る車のナンバープレートの数字でも金を賭けた。新聞をちぎって、記事にある数字の大小でも一喜一憂。「暴力団に麻雀で勝って何が悪い。わしは資金源を断ってる訳や。警察に表彰されなアカンがな」。こんな無茶苦茶なことばかり言っていたという。

 兵庫県西宮市の自宅が火事になった時も、燃えているのをそっちのけで隣の家の庭に必死で自分の浮気の証拠を放り込んだ。ある商店のご婦人と浮気をしている時には、相手のだんなの出張中に、夫人の自宅に出張サービス。店のシャッターを開けて中に入るのに近隣住民の目もあるので一苦労。近くの踏切を電車が通る度に音を合わせて「ガラガラ〜」。夜とあって電車の本数が少ない中、粘りに粘って終電までには何とか攻略。そんな逸話がゴロゴロある。

 ヒット曲「嘆きのボイン」や「出てきた男」などを弾き語る漫談家の顔に、桂米朝一門らしく落語の実力は本物。パンパンに客の入った劇場で「ほんまに、ほんまに、ほんまでっせ〜」というフレーズを繰り返すだけで爆笑を巻き起こす。野球賭博に、晩年はストーカー事件も起こしたが、それをすべてひっくるめて“芸人可朝”だった。

 「誰に対しても分け隔てなかった。イタズラ好きでしたけど、ええ人でしたわ」(関係者)。昭和は遠くなりにけり。こんな型破りな芸人はもう出てこない。時代もあるのだろうが、なんだか寂しい。合掌。
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