風変わりな少年だった歌丸さん 釣り好き 大の甘党で下戸 工場勤務、セールスも経験
2018年07月03日 05:49
芸能
分かりやすく、頑固な性格。肉はダメだが、魚は好き。大の甘党だが、酒は飲めない。付き合いでグラス八分目ほどのビールを飲んだのが最高記録。この時は直後にダウン。やっとの思いで家に帰ったが、翌日に急性アルコール中毒と診断された。2日後まで「家がグルグル回っていた」という“三日酔い”の逸話が残るほど、酒を受け付けなかった。
駆け出しの頃、師匠とモメて高座を離れた時期は生活に苦労した。再出発までの間、マッチ箱のラベル貼りやメッキ工場勤め、化粧品のセールスマンなどの仕事をした。この時の食うや食わずの極貧生活の体験から弟子には「お金がたまったらまず米を買いなさい。米があれば食うのには困らない」と教えた。
遊郭の生まれだが女遊びはほとんどせず、若い頃に海外で羽目を外したぐらい。「恐妻」とネタにしていた冨士子夫人と生涯を共にした。老人ホーム慰問やチャリティー寄席など、テレビに映らないところでも“客”を楽しませ続けた。
4歳年上の夫人は幼なじみで56年に結婚した。これまで夫人が表立ってメディアに出ることはほとんどなく、「笑点」では09年に歌丸さんが座布団10枚を集めた賞品の「クイーン・エリザベス2のクルージング」で登場。ただ顔は映さず、後ろ姿のみの登場だった。