歌丸さん告別式 友人代表・中村吉右衛門「勝ち逃げはずるいよ」と涙
2018年07月11日 15:24
芸能
米丸は「思い出は数かぎりなくあります。今、思いますと、あなたは非常に意志の強い、強固な、真面目な、頑固なところがあった」といい、「お幸せだったと思います」。「笑点」で人気者になった時を振り返り、「看板番組になると、どっこいしょと休みたくなるものですが、人気におごることなく、私は落語家なんだ!、勉強しようと…」と真摯に落語に向かった姿勢を回顧。「好きな古典をじっくりやる、お見事でした。どうぞゆっくりお休みください」と声を震わせた。
6月20日の最後のお見舞いを振り返り、「意識もはっきりしていた。発声練習の紙を取ってと言われて、また元気になって、やる気なんだと思っていた」と悔しがった木久扇。49年前に歌丸さんとコンビを組み、クイズ番組で優勝し、商品の東南アジア旅行を2人で行った時の思い出などを語り、「50年近く一緒だったので思い出がいっぱいあります。いつも忙しくしてらした師匠ですから、ごゆっくりお休みください」と語りかけた。
友人代表の吉右衛門は「酒を酌み交わしてお話をしたというお付き合いはありません。さっぱりした付き合い」としながらもお互いの芝居や落語を聞きに行く間柄だったといい、パリでの旅行中に歌丸さんがパリで高座を持つという偶然が重なり、楽屋で会うことができ、「ご縁を感じた。たのしい思い出がいっぱいありました」としみじみ。「師匠の訃報をテレビで知った時は…」と切り出すと、「すみません。年をとると、涙腺がゆるくなりまして申し訳ございません」と涙。「ショックでございました」と声を震わせた。「奥さまが見抜いた通り、師匠は落語を残して、落語のお客さまを残して、やるべきことをすべてやりつくして、旅立たれました。言ってみれば一人勝ちみたいなもの。私は最後に師匠に、こう申し上げたい。師匠、勝ち逃げはずるいよ、ということです。お疲れ様でした」と絞り出した。
遺影は2015年8月の国立演芸場での高座の一コマ。ご家族で選ばれたという。祭壇は、港町である横浜の海をイメージしたものとなった。エルフェニウム、菊、胡蝶蘭、トルコキキョウなど2500〜3000本の花々で白と青の波が表現された。緑色の着物で高座に上がり、はにかむ遺影も飾られた。会場には、写真をはじめ、着物、ネタ帳、扇子、笑点のスタッフから50周年を機に贈られたという車椅子など、4、50点もの思い出の品を展示したメモリアルルームも用意。ひ孫さんが好きだという多くのヒマワリに囲まれ、最後の高座で最後の仕事となった4月19日の国立演芸場での映像が流された。一般向けに献花台も設けられ、暑い中、多くのファンが列を作った。