鹿賀丈史「厳しさの奥に優しさがある人だった」市村正親「偉大な演劇のお父さん」
2018年07月19日 05:30
芸能
浅利さんは芸名の名付け親でもあった。「鹿のように俊敏で、澄んだ目をしていろ」と言われ鹿賀になったと明かした。
最後に会ったのは2000年。銀座の飲食店で偶然会って酒を飲みながら語り合った。その後、直筆で「あの時は酒を飲んでいてきついこと言ったけど、ごめん」と書かれた手紙が届いた。「一から育てていただき、気にかけてもらい本当に感謝している。厳しさの奥に優しさがある人だった」。目には涙があふれていた。
鹿賀とデビュー作が同じ市村正親は、大阪での舞台を終えて帰京後、報道陣に対応。1年先に入団し主役を張り続けていた鹿賀に対して、市村は舞台に欠かせない存在として「おまえはステーキの横のクレソン」と浅利さんから励まされた。当時は「俺は葉っぱか…」と落ち込んだ。それでも「丈史が太陽なら俺は月。寿司にはわさびが必要だ」と気を持ち直し演技にまい進。周囲から「市村さんの背中には寂しさがある」と評価を受けるようになった。16年に稽古中に会って「おまえの芝居が見たい」と言われたのが最後。「僕の8割は浅利さんの演技論でできている。偉大な演劇のお父さんです」と慕う恩師へ「ミニステーキぐらいにはなれたかな」と感謝した。