内田裕也 天国の希林さんへ「啓子今までありがとう 見事な女性でした」

2018年09月21日 05:30

芸能

内田裕也 天国の希林さんへ「啓子今までありがとう 見事な女性でした」
11年、夫婦初共演となった結婚情報誌「ゼクシィ」のCM撮影に臨む内田裕也と樹木希林さん(リクルート提供) Photo By 提供写真
 ロック歌手の内田裕也(78)が20日、妻で女優の樹木希林さんが15日に75歳で逝ってから初めて文書で追悼した。当初は18日に出す予定だったが、ショックが尾を引いていたため延期していた。「啓子」と本名で呼び掛け、「見事な女性でした」と苦労をかけた最愛の妻をしのんだ。
 “つかず離れず”を45年間も続けながら、心の奥底でしっかりとつながっていた型破りな夫婦。混乱した頭の中を整理するのに裕也には悲報から5日間の時間が必要だった。

 「最期は穏やかで綺麗(きれい)な顏でした。啓子 今までありがとう。人を助け 人のために祈り 人に尽くしてきたので 天国に召されると思う。おつかれ様。安らかに眠ってください。見事な女性でした」

 短い文面に私生活で苦労をかけた亡き妻への思いを込めた。裕也自身、昨年11月に脱水症状を起こして倒れるなど体調は万全ではない。17日に都内の斎場で営まれた家族葬には車椅子で参列した。

 2人は73年5月にかまやつひろしさんの紹介で出会い、同年10月にスピード結婚したが、裕也の家庭内暴力などもあって1年半で別居生活に入った。81年には一方的に離婚届を提出した裕也に対して希林さんが無効の訴訟を起こし、結局離婚は成立しなかった。

 実に43年半に及んだ別居生活。その間、裕也が大麻取締法違反、銃刀法違反などで逮捕されても見限ることはなかった。11年に交際していた女性に復縁を迫るなどして裕也が強要未遂と住居侵入の疑いで逮捕された際には「(被害者に)ありがとうと思います。(世間に)さらしてくれて。お仕置きのようになればありがたい」と突き放したが、その際も離婚は選択しなかった。

 「縁あって結ばれた好きな人。添い遂げるのが当たり前」と夫婦でいることにこだわった最大の理由は一人娘の也哉子さんの存在だった。「子供の成長のためには離婚しない方がいい」というのが希林さんのポリシー。94年6月、スイスの高校に留学していた也哉子さんの卒業式には裕也を誘って出席し、両親の務めを果たした。

 やんちゃはしても、好きでたまらない男。渋谷区内の自宅にはいつ戻ってきてもいいように裕也の部屋があり、そこには大きな写真も飾られている。裕也も希林さんの言うことには文句を言いながらも従うことが多く、互いに齢(よわい)を重ねた最近は同居には踏み込まなくとも定期的に食事に出掛けたりして穏やかな関係を続けてきた。

 希林さんは3人の孫に「ばぁば」と呼ばせていたが、裕也のことを「じぃじ」とは呼ばせていないとテレビで明かしたことがあった。「あの人はロックンローラーだから」と話していたが、そこまで思ってくれた希林さん。裕也の喪失感はとてつもなく大きい。
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