樹木希林さん告別式 44年前の恋文…内田裕也はどんな気持ちで聞いたか
2018年10月08日 11:30
芸能
リポーター 娘婿の本木雅弘が行った会見の中身。橋爪功が代読した是枝裕和監督の弔辞。安藤サクラが読んだオノ・ヨーコさんのお悔やみメッセージ。どれもが深くて濃くて、聞き入っちゃった。
本紙デスク 本木は、荼毘(だび)に付された後に裕也が希林さんの顎の骨をポケットに入れた話も披露していたね。43年半も別居婚を続けた夫婦だったが、絆の強さを証明するエピソードと俺は受け取ったよ。
ワイドデスク 本木は内田家に養子に入ったわけだけど、希林さんは本当に喜んでいた。彼の支えがあったことで内田家を守ることができた。クライマックスは娘の内田也哉子のあいさつ。喪主の裕也の代理を立派に務めたね。胸を打たれたよ。
リポーター 「私が結婚するまでの19年間、うちは母と私の2人っきりの家庭でした」と切り出した後、しばし涙で言葉が出てきませんでした。ほとんど父の愛情を受けずに育った也哉子。妻子を置いて家を出た父を憎みもしただろうしね。いろいろな思いが交錯したに違いない。
週刊誌記者 別居中に裕也は大麻取締法違反などで3度も逮捕されている。それでも離婚を拒み続けた母に対しても複雑な思いはあったでしょうね。
ワイドデスク 澱(おり)のようにたまったわだかまり。それを砕いてくれたのが希林さんの書庫から見つけたアルバムに丁寧に貼られていたセピア色の手紙だったと也哉子は続けた。「悠木千帆」と名乗っていた44年前に英国から父が母に宛てた恋文だ。
本紙デスク 「今度は千帆と一緒に来たいです」「この1年いろいろ迷惑をかけて反省しています」などと書かれた文面。也哉子はしばし絶句し、そして「私の心のどこかで許しがたかった父と母の在り方へのわだかまりがすーっと解けていくのを感じたのです」と話してたね。
リポーター 裕也はどんな気持ちで聞いただろう。式の最後に裕也が歌う「朝日のあたる家」が流れた。生前の希林さんが「この曲を聴きながら死にたい」と希望していた曲だ。也哉子の選曲だったかもしれないね。