大河主役がたすきリレー、箱根駅伝創設尽力「いだてん」の主人公にちなみ
2018年12月06日 09:22
芸能
初めて足を踏み入れた鈴木は「自分(西郷隆盛)たちが一生懸命築いた時代の先にこういう時代があり、そこに生まれた新しい世代の人たちが、日本を象徴する五輪に向かっていくと思うと、感慨深い」としみじみ語った。
「いだてん」は人気脚本家・宮藤官九郎(48)のオリジナル作品。12年のストックホルム五輪から、36年のベルリン五輪、64年の東京五輪までの3大会を中心に日本の激動の52年間を描く。
ストックホルム五輪に出場した金栗役の勘九郎は、ドラマゆかりのものにちなんだ恒例のプレゼント交換で、足袋を鈴木に贈呈。当時の日本にはマラソンシューズがなく、選手は人力車夫などが履く足袋を改良して競技に臨んでいた。
勘九郎はドラマのマラソンシーンで実際に足袋を着用。鈴木に「これは“金栗足袋”。ストックホルムに出場した時、これで走った。(NHKの衣装担当が)サイズを亮平さんに合わせて作りました」と説明した。
鈴木は「当時、ほかの国の人たちは何を履いていたんですか?」と興味津々。勘九郎が「ゴム底のシューズや野球のスパイクです」と答えると、感心した表情で眺め「自分の部屋で履いて、五輪選手の気分を味わいます」と喜んだ。バトンタッチの撮影の際には、金栗が箱根駅伝の開催に尽力した人物であることから、バトンではなく、たすきが用いられ、歴史を感じさせるセレモニーとなった。
◆金栗 四三(かなくり・しそう)1891年(明24)8月20日、熊本県生まれ。1911年、ストックホルム五輪に向けた予選会に足袋で出場。当時の世界記録を27分も縮める2時間32分45秒で走り、短距離の三島弥彦とともに日本人初の五輪選手となった。しかし、ストックホルム五輪では、最高気温40度のレースの途中、日射病で意識を失って倒れ、棄権に。17年、駅伝の始まりとされる東海道駅伝徒歩競走に出場し、20年の第1回箱根駅伝の開催に尽力。晩年は故郷で過ごし、1983年に92歳で亡くなった。