元日本代表・平山相太氏 大学で学び、指導者修業の日々…伝えたい「強い気持ちを持つこと」

2019年01月11日 17:36

芸能

元日本代表・平山相太氏 大学で学び、指導者修業の日々…伝えたい「強い気持ちを持つこと」
MBSテレビ「OFLIFE」に出演の平山相太氏(写真提供・MBS) Photo By 提供写真
 MBSテレビ「OFLIFE」(火曜深夜1・59)の15日放送は昨年1月に現役引退した元Jリーガー、日本代表の平山相太氏(33)を取り上げる。
 身長1メートル90で、日本人離れした体格をした平山氏。長崎・国見高時代に全国高校サッカー選手権で2年連続得点王。通算17ゴールの歴代最多記録を打ち立てた。大学進学を経て、海外でプレーし、日本代表選手にも招集されたが、ケガに悩まされた。昨年1月、12年半のプロ生活に終止符を打った。現在は宮城県の仙台大学体育学部にAO入学。のどかな田舎町で10歳以上年下の同級生に混じって講義を受ける毎日だ。

 「現役時代からもう1回勉強したいと思っていた」。高校の先生やサッカーの監督になることも視野に入れている。授業後には仙台大サッカー部のセカンドチームで監督を務め、指導者としての修業も。また、吉本興業とマネジメント契約を結び、休日には全国のサッカーイベントにも参加している。現役時代は寡黙だった平山氏。「人と話したり、説明するのは不得意。指導者になった時に、自分の思いを伝え、相手に納得してもらう能力を養うため」に積極的にイベントで人と触れ合う。親交のあるナインティナイン・矢部浩之(47)は「現役の時は寡黙でマスコミの前で喋らないタイプ。ちょっと気難しいのかなと思ってたら、メチャメチャ喋るし、新喜劇的なノリがあって。結構ボケるし、まあまあスベるし」と、現役時代とのイメージの差に驚いている。

 高校時代から華々しいサッカー人生を歩んでいた平山の挫折はオランダに渡ってプロになってから。「プロ選手は監督で変わる」。06年夏、突然の戦力外通告。その後、日本に戻り、FC東京などJリーグでプレーを続けた。10年にW杯前の合宿に参加。「W杯は行きたいけど、予選も出てないし、結構厳しいだろうな」と思ってしまった。その時、「自分が代表になってW杯で活躍する、という強い気持ちがなかったのが悔やまれる」という。指導者になって伝えたいのは、局面を乗り越える「強い気持ちを持つこと」だ。

 高校時代の恩師・小嶺忠敏氏(73)は「人生は出会い。いろんな人と会っていろんな方法を学んで欲しい。どういう指導者になるのか楽しみ」という。かつての“天才ストライカー”平山氏が、サッカー選手としての人生から第2の人生へ進む。

 ナビゲーターは黒田博樹(43)、VTRナレーションは手塚理美(57)が務める。
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