奥田瑛二 自立心養う子育て論、朝ドラ主演・次女安藤サクラにかけた言葉とは
2019年02月07日 09:00
芸能
過酷な風習の背景に描かれる、破綻した親子関係。私生活では桃子監督、サクラの2女がいる。「まんぷく」について「会う人から“見てます”“朝から元気が出ます”と。よしよしと思います」
愛娘へのひいき目を差し引いたとしてもうなずける。映画「万引き家族」がカンヌ最高賞に輝いたのは昨年5月。夫の俳優柄本佑(32)との間に一昨年誕生した長女を伴う大阪での朝ドラ出演が、勢いを加速させる。
「甘やかすことはない。自立心を養うように仕掛けてきました」。桃子監督の子育ては元首相犬養毅の孫で妻のタレント安藤和津(70)が学習面、ボーイスカウトの指導歴がある奥田が情操面を担った。
「実は野山に詳しい。ちょっと見直した?夜の指導員じゃない、昼の指導員です」。ところがサクラが誕生した1986年はドラマ「男女7人夏物語」出演で多忙を極めた。「桃子のように面倒を見られず気の毒だった」
奥田の舞台を見た5歳で演技への関心を抱き、高校3年で女優志望を告げられた。「親の七光と言われたくない。何も協力できません」と応じたが07年、自身の監督映画「風の外側」でサクラを主演に起用した。
撮影開始10日前にもともとの主演女優が降板したためで、撮影延期を覚悟したが「(3番手での出演だった)サクラちゃんでお願いします」というプロデューサー、「神様がくれたプレゼント」とする和津の説得に最終的に折れた。
以来演技について語り合うことはない。ただ1度、サクラが自宅で独り言を繰り返すので「そういう時はな…」と本題に入ろうとしたら、「お父さんはお父さん、奥田瑛二は奥田瑛二。私は私。全然当てはまらないから、いいです」と拒絶された。「最近は僕の方が聞いてます」と苦笑いする。
朝ドラ出演時、奥田はサクラに「これは挑戦ではなく冒険だ」との言葉を送った。その意図を「挑戦は途中でやめることができる。冒険は荒波の海へこぎ出している。もう引き返せない」。つまり覚悟を問うたのだ。「命がけなぶん、面白いし達成感もある」。さて、まもなくその冒険を終えるサクラ、父から受け取った言葉をどう振り返るだろうか。
≪実は阪神ファン≫奥田は中日の地元、愛知県春日井市出身だが阪神ファン。2005年以来優勝から遠ざかるのに寛容な周囲を疑問視し「大阪人が許しまくっている。下柳(剛)さん、なんで投手コーチやらないんだろうね」と指摘。面識はなかったが、テレビ局関係者を通じて酒席を設けたほどほれ込む人柄に「ああいう無頼派に指導者をやってほしい。今度会ったら“やらないの?”と聞いてみたい」と説得を試みるという。
◆奥田瑛二(おくだ・えいじ)1950年(昭25)3月18日、愛知県春日井市出身の68歳。明治学院大を中退後、東邦高の先輩・天知茂の付き人を務め、79年「もっとしなやかにもっとしたたかに」で映画デビュー。トレンディー俳優として人気を博し、86年の主演映画「海と毒薬」がベルリン国際映画祭銀熊賞。監督としても2006年の「長い散歩」でモントリオール世界映画祭グランプリを受賞した。