中尾彬 「翔んで埼玉」当初は出演お断り 演技はコワモテ、根は優しき76歳
2019年03月17日 10:00
芸能
子供の頃、地元の千葉県木更津市で行われた映画「足を洗った男」(1949年)のロケで、主演の長谷川一夫に「おじさん、僕も役者になりたい」と直談判。高校時代に絵画で評価され、美大に進みパリにも留学したが、役者への思いは常に胸の内にあり、帰国後、新聞に載っていた日活第5期ニューフェースに応募し合格した。
だが1年目であっさりと見切りをつけ、劇団民芸に入る。「ある程度はやっていけるだろうと思っていましたけれど、当時の映画界を見ていると毎回同じメンバーで創作ではなく駒を動かしているだけだという気がして、映画は駄目になる。芝居をちゃんと基礎から学ばなければいけないと思ったんです」
舞台で研さんを積み、自ら企画を出した映画「本陣殺人事件」(75年)では主人公の金田一耕助を演じるなど活躍。同時に30歳を過ぎ、役柄が限られてきていると感じ始めた頃が、テレビの2時間ドラマの黎明(れいめい)期と重なった。“悪役路線”の萌芽(ほうが)である。
「来るのが割合、犯人の役で随分得をしました。人をだましたり殺したり、普段はできない行動ができるし、人間の裏表を演じるのが面白いということが分かりましたしね。悪役でも、こっちから見れば逆に私が主役だと思いながらやっていましたよ」。90年代以降は東映やくざ映画での幹部役や、一方で平成「ゴジラ」シリーズでの司令長官や首相も印象深い。それでも怖い人というイメージ。「優しいおじいさんになっているのに、今でも言われますね」と苦笑するが、むしろそれを楽しんでいる。「総理大臣だって、ゴジラにとっては敵ですからね。この仕事を選ぶこと自体が、堅気じゃないと思っているから。それで生活している限りいろんなことをやってやろうと頑張りますが、いい子にはなりたくない。絵を描くにしても、後ろ指をさされるような絵を描いてみたいと思っています」。
「翔んで埼玉」は公開3週目で興行収入15億円を突破する快進撃中で、中尾も「いいことですね。どこに行っても言われますよ」とうれしそうだ。当初は「タイトルからふざけているし、連想させるものがない。埼玉の人はかわいそうとも思ったんですよ」とオファーを断ったという。それでも「それは誰も気にしていなかった。都庁の前で撮影したり、凄いスケールになってきたなと思って。製作費があったんだね」と満足げに振り返った。
◆中尾 彬(なかお・あきら)1942年(昭17)8月11日生まれ、千葉県出身の76歳。61年に日活第5期ニューフェースに合格し、64年「月曜日のユカ」でデビュー。77年スタートのフジテレビ「暴れん坊将軍」の初代・徳川宗春役で知名度を上げる。主な映画出演作は「本陣殺人事件」「白昼の死角」「龍三と七人の子分たち」など。絵画の分野でも83年に仏の絵画展「ル・サロン」でグランプリを受賞、定期的に個展も開催している。