40年来盟友・崔洋一監督「79年の戦いが幕を閉じた」 始まりは78年映画出演交渉「共に戦ってきた」
2019年03月19日 06:30
芸能
「1年以上一緒にいたわけだから、体調には気付く。良い時も悪い時もね。無念さと、覚悟していたという冷静さがある。希林さんとの絆の部分は大きいと思うけれど、79年の内田裕也の戦いが幕を閉じた感じかな」と複雑な胸中を吐露した。
助監督時代の1978年、映画「最も危険な遊戯」で裕也さんに出演交渉をしたのがきっかけで付き合いが始まった。83年、裕也さんが「映画を撮るぞ」と企画し主演、共同で脚本も執筆した「十階のモスキート」で監督デビューした。最後に会ったのは、昨年大みそかから年明けにかけて開催された「ニュー・イヤーズ・ワールド・ロック・フェスティバル」。入院していることは知っていたが、見舞いには行かず「マネジャーとのやりとりで、今度自宅でうどんすきでも、という話をしていたのでそのお誘いを待っていた」と明かした。
時にはぶつかることもあったが、裕也さんは一貫して「崔さん」と呼んでいたという。「世の中に石を投げていた人だったけれど、世の中を愛していた人でもあった。理性のある距離感で付き合い、同志というには口幅ったいが、共に戦ってきたという気持ちはある」と悼んだ。