内田裕也さん 貫いた「むき出しの人生」 主義主張持ちながら粗野な言動で蛮行に
2019年03月19日 09:00
芸能
かけてくる電話はいつも、冒頭に「ロックンロール!」で、要件が手短にあり、おしまいは必ず「ヨロシク!」だった。思い込みが激しく、口下手、独特の裕也弁だから、対応に慣れた“番記者”をつくった。離婚騒ぎ当時は河原一邦、晩年は長く佐藤雅昭記者。スポニチと彼はなぜかウマが合ったが、個人に担当をつけた例は他にない。
希林夫人との関係を、彼はジョン・レノンとヨーコ夫人に見立てていた。双方強烈な個性の持ち主で、それを尊敬しながら危険な衝突をはらむ。別れの覚悟の裏には、あの時期彼には余裕のなさや疲れがあったろうか。
いつも「怒り」と「いらだち」を抱えていた。ロックンロール魂は「生き方」そのものに根ざす。都知事選は政治への関心を示し、事業仕分けの現場へ出かけるのは、市民の一人としての意識だった。ロック界を主導、後進に道を開きながら、ロックがビジネス化することを嫌った。
彼なりの主義主張を持ちながら、言動が粗野で衝動的だったから、蛮行、愚行につながることが多かった。それを自己矛盾と知りながら、彼は内田裕也という「むき出しの人生」を貫いた。起爆剤が夫人の言う「ひとかけらの純」だとすれば、彼の「グッドラック」の79年の生涯は「怪男児」に見えて、実は「快男児」だったのかもしれない。 (スポニチOB、音楽評論家)