丸山桂里奈「サッカーやめたい」と絶望した日々…「自分の足じゃないみたい」
2019年03月24日 21:45
芸能
小学校からサッカーを始めた丸山は19歳で日本代表入り。2011年の女子W杯では準々決勝ドイツ戦で劇的な決勝ゴールを挙げ、順調にスター街道を歩んでいた。だが、ロンドン五輪前のアジア最終予選で前十字靭帯、半月板損傷という大ケガ(全治6カ月)を負ってしまう。「ウオームアップのときから足を痛めていた。(ケガした瞬間は)自分の足じゃないみたい。立ち上がれなかった」
ロンドン五輪まであと10カ月というタイミングだった。丸山は「初めてサッカーをやめなきゃいけないかと思った」という。
そんな悲嘆にくれる丸山を支えたのは両親だった。トイレにも一人ではいけない、寝返りを打とうと膝に力が入ると激痛が走る毎日だったが、自宅でリハビリに励んだ。「こんなに頑張る子だったんだ」と母・慶子さんが振り返る。
2012年7月、ロンドン五輪代表選手発表。丸山の「代表入りは赤信号」と言われていたが、そんな予想を覆す代表入りが決まると、「両親の顔が浮かんだ」という。
ロンドンへ出発する当日、丸山は所属チームの大阪から東京の実家へ向かう。滞在できたのはわずか15分だけだったが、「どうしてもお父さんのつくる卵焼きが食べたかった。玉ねぎ入りで、小さいころからの勝負飯だったから」という。その卵焼き効果もあってか、五輪では銀メダルを獲得した。
スタジオには、その“父の卵焼き”が登場。丸山は「口の中ってうまみがあるじゃないですか。お父さんの卵焼きは、人間の中で一番おいしいもの、と思うくらいおいしい」と独特の“丸山語”で説明。MCのダウンタウン浜田雅功(55)は「うん、ふつう」と食レポし、笑いを誘っていた。