古舘寛治&阿見201が「いだてん」撮影秘話 ナニワのファンを爆笑の渦に
2019年05月26日 20:56
芸能
![古舘寛治&阿見201が「いだてん」撮影秘話 ナニワのファンを爆笑の渦に](/entertainment/news/2019/05/26/jpeg/20190526s00041000393000p_view.jpg)
イベントでは1964年の東京五輪時に、大阪を通ることになっていたが台風のため、別ルートとなった幻の聖火の話となり、当時使っていた本物の聖火トーチが出現。実際に手にした古舘は「軽いですね。200メートルくらいなら走れそうです」。阿見は「僕なら1キロ、2キロ走れます!2020東京五輪の担当者いませんか?」と聖火ランナーへの意欲をアピールした。
ドラマの中では同時代を生きる登場人物でありながら、直接の芝居のやりとりがなかった古舘と阿見だが、撮影を振り返る中で「お酒のシーンでは、大人しくしていては成立しないので、若者たちより先に酔っ払った感じで騒ぐようにしてました」と古舘。「宴会シーンでは、普通唐揚げとかが目の前にあるのに、僕の前にはなぜかまんじゅうが用意されていて、長い撮影の中、まんじゅうばかり50個ぐらい食べる羽目になりました」と語り、笑いを誘った。
また、金栗四三を柔道場で投げ飛ばすシーンを演じることになった阿見は、“中村勘九郎さんを柔道で投げ飛ばすことになった”と両親に打ち明けたら「万が一ケガさせてしまった時には、勘九郎さん以上に自分がケガしてこいと言われました」と明かし、再び会場を爆笑の渦に。
今後の「いだてん」について、ストーリーの中では1964年の東京五輪時に、90才ぐらいの高齢で存命だった可児徳の実際の話を披露した古舘。「開会式に参加した可児徳さんが“今日見たことは、嘉納治五郎に話しておきます”と言ったそうです」と語り、会場に感動のさざ波が立った。
だが、すかさず返す刀で「64年東京五輪開会式のシーンがあったら、サングラスに米国帰りの例のフリフリのシャツで開会式に可児徳が登場したら感動だと思うんですよね~」と、まだ書かれていない「いだてん」の場面展開に熱い意欲をにじませていた。